第三章 出師挫折(すいしざせつ)15
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「ならば、その汚れ役は、それがしにお任せいただけませぬか?」
「汚れ役?」
「はい。見せしめの処罰を容赦なく執行し、平然と笑っているような者にござりまする。それならば、諏訪頼重(よりしげ)を自害に追い込んだこの身が適任ではありませぬか」
原昌俊の言葉に、信方が顔をしかめながら答える。
「それを言うならば、諏訪の代官を拝命したそれがしの仕事ではないか?」
「いや、信方。これから代官を務める者は、諏訪の者たちの崇敬を集めなければならぬ。だから、汚れ役が別に必要なのだ。御屋形様、処罰をする者が理不尽であればあるほど、奉行を務める者はあくまで公正であり、領民に慕われなければなりませぬ。ここは役目を分けることが肝要と存じまする。諏訪の怨嗟(えんさ)など、この身が軽々と……」
続きを言いかけた途端、原昌俊が激しく咳き込み始めた。
それが尋常な様子ではない。
胸元から白布を取り出して口を押さえ、必死で咳を止めようとするが、まったく治まる気配がなかった。
「昌俊……」
信方が立ち上がろうとするが、原昌俊は左手だけでそれを制止する。
――こ奴、胸を患っているのではないか!?
心配そうな顔で、信方が同輩の顔を覗(のぞ)き込む。
晴信をはじめとし、他の者たちも心配そうに様子を見守っていた。
原昌俊はしばらく苦しそうに咳き込んでいたが、やがて、それが荒い呼吸に変わっていく。
「……も、申し訳……ありませぬ」
掠(かす)れた声で詫(わ)びる。
「加賀守、大丈夫か。少し休んではどうか?」
晴信の言葉に、昌俊は弱々しく首を横に振った。
「……大丈夫にござりまする。……なにやら、おかしな風病に喉をやられましたようで、時々、咳が止まらなくなることがありまする。しばらくすれば治まりますゆえ、大事ありませぬ。話を続けさせてくださりませ」
「さようか……」
晴信はそれとなく傅役(もりやく)の方を見る。
信方は無言で一度だけ頷(うなず)いてみせた。
「……そなたがそう申すならば続けよう。されど、余は喉が渇いた。茶でも呑んでから再開しようではないか」
晴信は自ら立ち上がり、室の外に控えていた近習頭(きんじゅうがしら)の教来石(きょうらいし)信房(のぶふさ)に薄茶を持ってくるよう命じた。
それが届く間、皆は原昌俊を気遣うように、進んで当たり障りのない世間話をする。すぐに薄茶が運ばれ、各々が喉を潤してから評定が再開された。
「では、加賀守。そなたの進言を続けてくれ」
晴信は気を取り直すように、あえて明るい声で言った。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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