よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)15

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 翌々日、信方は諏訪と小県郡禰津の途中にある大門(だいもん)峠まで出向き、禰津元直と密会した。
「それがしは禰津宮内大輔(くないたいふ)、元直と申しまする。本日は、武田晴信様の傅役、板垣(いたがき)駿河守(するがのかみ)殿にお会いできる機会をいただきまして、身に余る光栄と存じまする。今後とも、よろしく御願い申し仕上げまする」
 禰津元直は両手をつき、深々と頭を下げる。
 なかなか堂々とした口上と所作の漢(おとこ)だった。
「こちらこそ、よろしくお頼み申す。して、そちらのご用向きとは?」
 信方はすぐに本題へ入る。
「先般より当方は武田家の麾下に入りたいとお願いしておりましたが、それとは別に急ぎ晴信様にお伝えしたきことがありまして、かような運びとなった次第にござりまする」
 禰津元直は含みのある言い方をする。
「その件、まずは、それがしに聞かせていただくことはできませぬか」
「もちろん、お断りする理由はござりませぬ。実は、小県の上田宿辺りで大きな動きがござりまする」
「小県の上田?」
 信方は思わず眉の端をひくつかせる。
 そこは前(さき)の海野平(うんのだいら)合戦で、まんまと村上(むらかみ)義清(よしきよ)の掌中に落ちた場所だった。
「はい。砥石(といし)城にそれなりの軍勢が集結しておりまする。もちろん、駿河守殿には、いずこの将兵であるかをお伝えするまでもないと存じまする。当方はこれを訝しく思い、内村(うちむら)街道から松本平(まつもとだいら)の辺りを密かに調べましたところ、林(はやし)城から深志(ふかし)城に兵が移動し、砥石城と同様の動きが見えましてござりまする」 
「つまり、小笠原(おがさわら)の軍勢が深志城に集結し、諏訪方面に動こうとしていると?」
「ええ、当方には、そのように見えましたが」
「村上と小笠原の軍勢が高遠頼継の加勢をするつもりか」
 怒りを抑えながら、信方が呟いた。 
 その様を見ながら、禰津元直が冷静な見解を述べる。
「高遠頼継が村上義清と内通していたかどうかは定かではありませぬ。されど、小笠原長時(ながとき)は福与城の藤澤頼親の義兄にあたりまする。今回の謀叛の前に、小笠原への知らせがあったとしても不思議ではありますまい。小笠原に伝われば、村上義清の耳に詳細が入るのは必定ではありませぬか」
「なるほど。そういうことか。ならば、村上と小笠原が東西から諏訪を挟撃してくるやもしれぬと」
「そうとも限らぬのではありませぬか」
 元直が微かな笑みを浮かべる。
「と申す、その真意は?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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