よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)17

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  二十五 (承前)

 大門(だいもん)峠での完勝に、武田の将兵だけでなく諏訪(すわ)の者たちも沸き立った。
 これにより禰津(ねづ)元直(もとなお)とその一族は功績を認められ、武田家の麾下(きか)に入ることを承認された。
 そして、暦が変わると、意外な客が晴信(はるのぶ)に面会を求めてきた。
 なんと今川(いまがわ)義元(よしもと)の家臣、高井兵庫助(たかいひょうごのすけ)実広(さねひろ)が戦勝祝賀の使者として、わざわざ諏訪の上原(うえはら)城まで訪ねて来たのである。
 突然の来客に少々驚きながら、晴信は信方(のぶかた)と原(はら)昌俊(まさとし)を伴って会見の場に向かう。
「今川家の手回しが、いかにも早い。この機で戦勝祝賀とは、いかような真意があるのであろうな?」
 晴信は訝(いぶか)しげな面持ちで原昌俊に問いかける。
「諏訪の様子を探りに来たのでありましょう」
「わざわざ諏訪を見聞にか」
「今川家はただいま東西に敵を抱え、西の遠江(とおとうみ)へ出ようとしておりまする。駿河(するが)の北側、南信濃(みなみしなの)の下伊那(しもいな)に蠢(うごめ)く勢力を気にしているのではありませぬか。されど、当家が諏訪を制し、上伊那へ出て行くことになれば、当然のことながら下伊那の者もうかうかはしておられませぬ。駿河に出ようなどという気も起こりますまい」
「なるほど」
「その見極めのために甲斐の新府ではなく、あえて御屋形(おやかた)様が諏訪におられる間に使者を向かわせようと考えたのでありましょう」
 原昌俊は明解な推測を述べた。
 それを聞いて得心した晴信が念を押す。
「ならば、使者には上伊那の高遠(たかとお)を成敗すると伝えておいた方がよいか」
「当家はすぐに上伊那へ出張るので、しばらく下伊那辺りが騒がしくなるやもしれぬので、警戒を怠らぬように願いたいと釘を刺しておけばよろしいのでは」
「わかった。そうしよう」
 大きく頷(うなず)きながら、晴信は会見の間に入った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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