第三章 出師挫折(すいしざせつ)17
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「仕官を前提とした面談をしてほしいということだな。他ならぬ、雪斎殿のご紹介ならば、断る理由はない。その者はいつ頃、甲斐に来られそうか?」
「実は、こたびも同行しておりまする。懼(おそ)れながら、できうるならば、この場にて御目通りを叶えていただけませぬでしょうか。それがしからも、重ねてお願い申し上げまする」
高井実広は両手をついて深々と頭を下げた。
――ずいぶんと手回しがよいな。四の五の言わずに預かれ、ということか?
晴信は横目で信方を見る。
――会うだけ会うてみては、いかがにござりまするか。
傅役(もりやく)はそんな意味をこめて頷いた。
「わかった。ここへ呼んでくれ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
高井実広は再び両手をついて深々と頭を下げる。
それから、後ろに控えていた供の者に命じた。
「控えの間にいる菅助を連れてきてくれ」
しばらくして供の者に連れられ、一人の漢(おとこ)が広間に入ってきた。
その姿を見て、原昌俊が小さく息を呑む。
装束は立派だったが、顔は油焼けしたような色黒で、右眼を黒い眼帯で覆っている。右足が不自由なのか、少し足を引き摺(ず)りながら高井実広の斜め後ろに控えた。
晴信は眼を見開き、その者を見つめる。
「こちらが山本菅助にござりまする。ご挨拶を」
実広に促され、異形(いぎょう)の者が口上を述べ始めた。
「本日は、武田大膳大夫晴信様の御尊顔を拝する機会を頂きまして、恐悦至極にござりまする。それがしは太原雪斎様の使番をしておりました山本菅助と申しまする。以後、お見知りおきのほど、よろしく御願い申し上げまする」
嗄(しゃが)れた声で挨拶してから、菅助は両手をついて額を床に擦(こす)りつけた。
「そなた……」
晴信は微(かす)かに眉をひそめながら訊く。
「……以前に、どこかで会うたことはないか?」
「はい。晴信様とはたまたま釜無川(かまなしがわ)の竜王鼻(りゅうおうばな)にてお会いし、それがしが道をお尋ね申し上げましてござりまする」
「竜王鼻……。おお、あの時の歩荷(ぼっか)か」
「はい、さようにござりまする」
「覚えておるぞ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
「板垣(いたがき)、そなたも覚えているであろう。市之丞(いちのじょう)と治水の検分に行った時だ」
晴信の言葉に、信方は笑みを浮かべて頷く。
「もちろん、覚えておりまする。山本菅助、そなたはあの時、目利きだけが取り柄のしがない行商だと申したはずだ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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