よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)17

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「はい、さようにござりまする。浪人の身であったところを雪斎様に拾っていただき、駿河では採れぬ物を諸国で探せと仰せつかっておりましたゆえ、嘘を申したわけではござりませぬ」
「これまで巡った諸国の名産が頭の中に入っているとも申しておったな」
「はい。大体のところは」
「ならば、甲斐の名産は何であるか?」
 信方の問いに、菅助が微笑む。
「甲斐に、他国にはなき珠玉があるとすれば、それは眼の前におられる御惣領(ごそうりょう)かと」
 鬚(ひげ)に覆われた口元から乱杭歯(らんぐいば)が現れる。
「おいおい、その面構えで、さように如才のない世辞を言うか」
 信方はさもおかしそうに笑う。
 つられて晴信と原昌俊も笑った。
「山本菅助、もしも当家に仕官したならば、そなたは何がしたいか。いや……。何ができるのかと訊ねた方が良さそうだな」
 晴信の問いに、菅助は神妙な顔で答える。
「商いでの目利きは別にいたしまして、これまで兵法用兵術、築城術などを一通り学んでまいりました。されど、新参者ゆえ、しばらくは下働きにて、お試し頂きたく存じまする。もしも、一縷(いちる)の望みを叶えていただけますならば、ご縁に甘えまして竜王鼻の治水からお手伝いさせていただきとうござりまする。また、諏訪に築城や改修の要あれば、何なりとお申し付けくださりませ」
「竜王鼻の治水か。それは良いかもしれぬな。ところで、そなたは戦場(いくさば)に出たことはあるのか?」
「はい。先日も雪斎様の御側(おそば)で東岡崎(ひがしおかざき)の陣にお加えいただきました。かような姿形ではありますが、決して足手纏(まと)いにはなりませぬ」
「さようか。頼もしいな。板垣、どうであろうか?」
「若がお気に入られたならば、異論はござりませぬ。何より太原雪斎殿は半端な者を紹介などなさりますまい。まずは竜王鼻の治水で手並み拝見といたしましょう」
 信方が承諾した。
「加賀守(かがのかみ)、そなたはどうか?」
 晴信の問いに、原昌俊は微かな笑みを浮かべる。
「もちろん、異存ござりませぬ。されど、あえて高井殿にお訊ねしておきたい」
「何でござりましょう」
 高井実広はわずかに身構える。
「山本殿が当家に仕官することになれば、おのずと今川家の内情や駿河周辺の様子などを訊ねることになり申すが、それは構いませぬな」
「……もちろん、当方が何かを禁ずるべき筋合いではござりませぬ」
「それは有り難い。ということゆえ、山本殿、よろしく頼む」
 冷ややかな笑みを浮かべ、原昌俊が言った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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