第四章 万死一生(ばんしいっしょう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
弟の考えを聞き終えた諏訪満隣が詰めていた息を吐いた。
「……そなたの気持ちは、よくわかった。それで、この身に何をせよと申すか」
「頼重殿の娘の子が生まれる前に、諏訪の衆を説得し、われらが諏訪家の惣領を宣言してはどうか。武田が認めぬと申すならば、力尽くで対峙(たいじ)するしかなかろう。この機を逃せば、後はない」
「そなたはわれらと申すが、この身はすでに出家し、僧門に入っているのだ。簡単には、かような話には乗れぬ」
満隣は長らく諏訪頼重を支えた重臣だったが、その惣領が降伏した時から武田家に帰順した。
頼重の遺児である寅王丸(とらおうまる)を擁立した晴信に従い、高遠(たかとお)頼継(よりつぐ)の討伐に先陣として参加している。
しかし、この宮川(みやがわ)の戦いが終熄(しゅうそく)した後、満隣は同族と戦った責任を取る形で出家することを決め、嫡男の頼豊(よりとよ)に家督を譲っている。
そして、これを契機に諏訪頼豊は武田家に忠誠を示すため、甲斐の新府へ出仕することになった。
「もしも、兄上が還俗(げんぞく)してくれるならば、諏訪家の新たな惣領として担ぎ、全力で支えるつもりだが」
諏訪満驍ェ身を乗り出す。
「さような争いを二度とせぬために、この身は出家したのだ。それに頼豊は晴信殿の近習(きんじゅう)として仕えている。やっと信頼を勝ち取り、使番(つかいばん)に抜擢(ばってき)されたが、新府にいる以上は人質も同然の身なのだ。妙な騒ぎを起こし、頼豊の立場を危うくさせたくない。わかってくれ、満驕v
「ならば、兄上にはわれらの掌で諏訪宗家を再興する気はないということか?」
「やっと諏訪一門の内訌(ないこう)や上社と下社(しもしゃ)の諍(いさか)いも収まったのだ。このまま安寧が続いた方がよいではないか。今さら波風を立てる必要はあるまい」
あくまでも武田家への恭順を唱える兄を、弟の満驍ヘ失望の眼差(まなざ)しで見つめる。
「さようか……。兄上の気持ちは、よくわかった。ならば、この話は忘れてくれ。もちろん、他言も無用に願いたい」
「当たり前だ。満驕Aひとつだけ約束してくれ。決して謀叛(むほん)など画策せぬと」
「わかっている。兄上に惣領として立つ気がないのならば、それがしには何もできぬ。これまで通り、武田晴信の轡(くつわ)を舐め続けるしかあるまい」
諏訪満驍ヘ皮肉をこめて笑う。
「兄上、わざわざ呼び立てて悪かったな」
「いや、話ができてよかった。己を大事にせよ、満驕v
胸元から数珠を取り出し、諏訪満隣は両手を合わせた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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