よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)17

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 跡部信秋は険しい面持ちで出て行く。
 それから、腹心の透破(すっぱ)、蛇若(へびわか)と手の者を連れ、信方のいる上田原へ向かった。
 一方、敵から奪った産川沿いの陣は四方が固められ、敵兵の首級が運び込まれていた。
 信方が略式の首実検を行うためである。
 通常、首実検には整然とした作法があり、それに則(のっと)って粛々と進められ、総大将に披露される。しかし、こうした戦場では、それぞれの大将が手早く略式で行い、その結果を総大将に報告して武勲と褒美が決められた。
 今回の場合は敵の大将や貴人らしき者は含まれておらず、ほぼすべてが足軽の首級であるため、信方が首級の数を確かめるだけだった。その数を先陣全体の武功として総大将の晴信に報告する。
 略式の首実検を行うため、信方は作法に則り、具足を脱いで小具足に着替えようとする。
 それが済んだところに、厳峻坊をはじめとする四名の修験僧が現れた。
「板垣殿、首実検をなさるとお聞きし、首占いをするためにお伺いいたしました」
 厳峻坊の言った首占いとは、奪った首級の死相を確かめ、吉凶を判断するものである。
「おお、わざわざ首占いをしてくれるか」
「もしも、凶兆の首級が見つかりましたならば、われらが修法に則り、板垣殿が検分なさる前に首祀(くびまつり)を行っておきまする」
 首祀とは、凶兆が見える首級に祓(はら)えの儀式を行うことだった。
 首占いにおける吉兆は、両目を瞑(つぶ)っている「仏眼」と両目が開いて上を向いている「天眼」である。典型的な凶兆は両目が開いて下を向いている「地眼」や片方しか開いていない「片眼」であり、これには首祀の祓えが必要で、大将にも見せないことが多い。
 問題は両目が開いていながら、左右に寄っている死相だった。
 通常、両目が右を向いている「右眼」は味方にとって吉兆、左を向いている「左眼」は敵にとっての吉兆なので、味方にとっては凶兆とされていた
 厳峻坊はそれをひとつひとつ確かめ、凶兆が見えた首級には祓えを行い、すべてを吉兆の相に変えると申し出ていた。
「さようか。首祀をしてもらえるのはありがたし」
 信方は申し出を受け入れる。
 首祀をしてもらえば、首級の数を減らさなくても済むからだ。
「では、失礼して首占いを。その間、凶兆に取り憑(つ)かれぬよう、人払いをお願いいたしまする」
 厳峻坊たちは両手を合わせてから首台のある場所へ向かった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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