よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十回

川上健一Kenichi Kawakami

「どうどうどう。そう興奮するなって。血圧ァたまげだ上がってるど。面っこ真っ赤っかだ。それが何でレディー・カガ様と離婚ってことになるんだよ?」
 山田が小澤の興奮を静めにかかるが、火のついた小澤はさらに勢いを増す。水沼は黙って二人のやりとりを聞いていた。
「離婚なんかどうでもいいんだ」
「何へってらど(何いってんだ)。どんでもエぐねべせ。おらどおんた歳でレディー・カガ様ど別れるなんて一大事のもっと上だど。あれこれ面倒くさいこと全部自分でやらねばねんだど。お前できる訳ねべさ」
「いいんだよ。ものの道理が分からんやつとは離婚したっていいよ。あんなバカなやつとは思わなかったよ。それに俺は週の半分は会社で自炊してる。昔からだ。昔は昼は現場、夜は会社でデスクワーク。今は息子が継いでるようなもんだけど、それでもちょこまかやることあるから未だにその習慣が続いている。だから家事は一人でも大丈夫なんだ」
 小澤は眉を吊り上げる。血が煮えたぎっているような顔つきだ。
「家事はいいども、離婚となるとあれこれメンドクセど。それにカミサンだろうが息子だろうが、誰だって少しはホンツケねえ(どうしようもない)どごはあるもんだど。完璧な人間なんていねべさ。おらどもだ。人のことはへられねど」
 いい終わった山田は大きなあくびをする。それから取りつかれた睡魔を振り払うようにブルンと身震いをした。
 水沼はチラリとバックミラーを見上げて、「奥さんは息子さんの肩を持ったということか?」
 と小澤にいう。
「そういうことだ。俺は頭にきて下請け会社に出向いて談判したよ。そしたら別口の二つの仕事先の資金繰りが悪くなって、入る予定だった金が入らなくなった、会社にあった金は大きな支払いがあってそっちに回してしまって今はこれこれの金しかない、この金額をのんでくれたら今払うけど、のめないんだったら支払いは何カ月か待ってもらわなければならないというんだよ。だったら今払える金を払って、残りは金ができたら払ってくれないかっていったら、そうしたいが何カ月先になるか分からない、今回は今払える金で我慢してほしいと職人たちを納得させてくれないか、そのかわりに職人たちにはこの埋め合わせにこれからもどんどん仕事を回してやるからっていうんだよ」
「今時古くさい媚薬(びやく)だな」
 と山田が面倒くさそうに苦笑する。
「昔は少しでも会社の利益を上げようとしてそういうバカなことをする会社がけっこうあったんだけど、未だにそういうバカなことをいうやつがいるんだから呆(あき)れてしまうよ」
「それよりもその会社は大丈夫なのか? 本当に金が無くて切羽詰まっているんじゃないのか?」
 と水沼はいう。
「切羽詰まっていたら支払いはしばらく待ってくれというよ。これしか払えないっていうのは俺たちとか職人をなめてケチっているだけなんだよ」
「まあ、そういうことだな」
 山田は単調な声でいってまたあくびをする。虚(うつ)ろな目付きで前方を見据えた。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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