よみもの・連載

第二回優秀作は、いぬじゅん『北上症候群』に決定!

北上
その『Seven Stories 星が流れた夜の車窓から』だけど、これは今回のテキストの参考にはならないでしょう。ちょっと違いすぎるよね。いぬじゅんの『北上症候群』は、見知らぬ人が次々に主人公のいるコンパートメントに現れて知り合うという構成で、つまりある種のロードノベルだよね。
江口
そうですね。
北上
ところが、この『Seven Stories 星が流れた夜の車窓から』は、兄弟とか親子とか友人同士とか、知り合いが乗車して始まるドラマだから、本質的にドラマの質が異なっている。つまり、見知らぬ人と夜行列車で知り合うというのがテキストのポイントなんで。
吉田
冒頭に収録の井上荒野「さよなら、波瑠」は食堂車で見知らぬ人と同席する話ですよ。
北上
あっ、そうだっけ? でも7編中1編だけだぜ。
江口
川上弘美さんの「アクティビティーは太極拳」はうまいなあ。
北上
新型コロナのために「ななつ星」の運行が中止になって、リモートで行った気分になるというやつね。
江口
「ななつ星」に乗るというアンソロジーなのに、乗らない話ですからね。粒揃いのアンソロジーだったので、事務方が勝手に参考テキストに取り上げさせていただきました。すみません。
吉田
こういう傑作と比較するのは可哀相ですよ。
北上
おや、今度は弁護するの?
吉田
いくらなんでも、相手が強すぎますよ。
北上
久しぶりに再読したけど、有川浩『クジラの彼』はうまいなあ。遠距離恋愛の極致だよね。
江口
いまは世界のどこにいてもスマホで会話できるのに、潜水艦に乗っている彼とはそれもできない。どこにいるのかも秘密なんで言っちゃいけない。
吉田
遠距離≠フ設定が抜群にうまい。なんたって、地上と水面下! 自衛隊ラブコメシリーズの一冊ですが、お見事としか言いようがない。遠距離の設定ということで言えば、江國さんの『神様のボート』もただものではなくて、こちらは行方不明=Bいなくなってしまった恋人が、自分と娘を迎えにくるのを、風来坊のようにあちこちを転々としなが待ち続ける話なんですが、これ、ラストをどう読むかで、読後感の重さが変わってくるんです。
北上
どういうこと?
吉田
最後、どう読まれました?
北上
ようやく迎えに来た恋人と再会できたんじゃないの?
吉田
それは心の優しい人の読み方ですね。私はあのラストは、本当は再会なんかしていなくて、精神の均衡を崩した葉子の妄想だと読みました。恋人というか、娘の父親である男をひたすらに愛して、愛して、ついには現実の世界では生きていけなくなってしまったのではないか、と。
江口
実際、葉子の精神的な不安定さは、娘の目を通じて描かれています。
北上
そういう読み方もある、と。
吉田
本当に会えた、と読みたい気持ちもあるんですが……。
北上
そろそろ結論を出そう。見知らぬ人たちと触れ合うことで、主人公たちが変化していくかたちをしっかりと描いていることは評価したいけど、琴葉の恋の決着にもう少し工夫が欲しかったと思う。
吉田
読後、優しい気持ちになる作品だし、いまの時代にこういう物語があるのはいいと思うのですが、マスクの件に見られるように、リメイクに際してもう少し気を配って欲しかったところはありますね。
北上
ということは、来年の3月に予定している年度末の決勝大会への参加は見送って、今回の優秀作にとどめるほうに2票と。江口氏はどうですか。
江口
ぼく自身も衝動的に寝台特急に飛び乗って旅に出たことがあるので、とても面白かったです。この『北上症候群』を読んで、他の作品も読みたくなったから、この『君を見送る夏』を買ってきました。4月に祥伝社文庫から出た新刊です。
北上
ほお。読者に次の作品を買わせるというのはすごいな。でも2対1だからなあ。
江口
うーん、残念。みなさんの結論に従います。
北上
はい、それでは、いぬじゅん『北上症候群』は、今回の優秀作として大いに顕彰させていただくことにします。

2022年5月24日収録 座談会は感染対策に気をつけて行いました。

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