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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 弓を携えて三十間離れた的の前に立ち、まずは気息を整える。それから、箙(えびら)に立てられた矢を抜き、太郎は弓に番(つが)えて弦を引き絞った。
 その様を見て、信方が顔を曇らせる。
 ――緊張のせいか、構えが硬すぎ、矢先が定まっておらぬ。
 傅役の見立て通り、太郎が放った一本目の矢は大きく的を外した。
 それに動揺してしまったのか、次々と的を外し、最後の五本目でやっと的に当てる。しかし、真中丸には程遠い大外丸にかろうじて入っただけだった。
「うーむ、どうもいけませぬな。これでは試射の判定ができませぬ」
 鏃(やじり)を外した矢を手に、飯田虎春が太郎に近づく。
「もう一度、構えを見せてくださりませ」
「……はい」
 箙から矢を抜いた太郎は、慎重に弓に番え、ゆっくりと引き絞る。
「はいはい、弦を緩めて。まったく構えが定まっておりませぬ。もう少し肩の力を抜いて」
 虎春は空矢の先で太郎の肩を叩く。
 ――何たる無礼か……。
 信方は眼を尖らせ、歯噛みする。それでも、声は出せない。
「では、もう一度、構えて」
 指南役の言葉通りに、太郎は再び矢を番えて引き絞る。
「違いまする!」
 虎春は甲高い声を発し、太郎の鏃を持ち上げる。
「少し上で矢を番えてから、すうっと引き絞る。放たれた矢の軌道を脳裡に描きながら、自然に矢先を下げていきまする。はい、鏃を揺らさない! もう一度!」
 まるで弓箭の稽古を始めたばかりの童を叱るような態度だった。
 虎春の傍若無人な指導が続き、信方の仏頂面が鬼面へと変わっていく。
「……これまで申し上げたことを反芻しながら、十本の試射を行うていただきまする」
「わかりました」
 太郎はすっかり自信を失った顔で頷いた。
 それから十本の試射に挑むが、四本しか的に当てることができない。やはり、真中丸を射抜いた矢は一本もなかった。
 ――弓箭に対する苦手の意識が強すぎるのか、若は集中ができておらぬ。いつもはもっとましなはずだが……。
 そう思いながら、信方はあることに気づく。
 飯田虎春が甲高い声で喋っている時、太郎は常に顔をしかめている。
 ――若はあ奴の甲高い声で集中できぬのではないか。……いや、集中ができぬほど、虎春が嫌いなのかもしれぬ。
「……勝千代様、あえて苦いことを申しますが、十本中四本の当たりではどうにもなりませぬ。しかも、ほとんどが的の端ではありませぬか。今の次郎様ならば、七本は的に入れ、調子が良ければ半分は真中丸に命中させまする。しっかりしてくださりませ」
「申し訳ござりませぬ」
「さあ、それがしが申した注意事項を頭に叩き込み、もう十本」
「わかりました」
 太郎は懸命に矢を放つが、結果は似たようなものだった。十本中五本を的の端に当てただけである。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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