第三章 出師挫折(すいしざせつ)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「信濃の者どもが再び叛(そむ)き、戦いが振り出しに戻ったというのならば、致し方ありますまい。あの時、大御屋形(おおおやかた)様から先鋒(せんぽう)を申し付けられましたのが、それがしにござりまする。いわば勝手知ったる合戦。それゆえ、先陣ならば、この身にお申し付けくださりませ。先達城を足場として一気に瀬沢の敵先陣を落としてご覧に入れまする」
原虎胤が願い出る。
「皆はどう思うか?」
晴信は一同の意見を求めた。
阿吽(あうん)の呼吸で、原昌俊(まさとし)が手を挙げる。
「鬼美濃(おにみの)が先達城へ入ってくれるならば、願ったり叶(かな)ったりにござりまする。敵方がどれぐらい腹を括(くく)って出陣してきたかはわかりませぬが、当家の事情を鑑みれば、こたびは短期の決戦が肝要。できれば、総軍で戦線を押し上げ、敵の先陣を落とした勢いで本隊を諏訪湖の淵まで追い込み、われらがどれだけ本気かを思い知らせとうござりまする」
珍しく語気を強め、皆を鼓舞するように言い放つ。
――小笠原が小手調べのつもりで出張ってきたならば、当家を侮りすぎであり、出鼻を挫(くじ)いておかねばならぬ。されど、こたびの真の問題は、別のところにある。おそらく、守矢(もりや)頼真(よりざね)からまともな返事がなかったのは、諏訪頼重(よりしげ)がこうなることを知っていたからであろう。諏訪との関係を見直すためにも、この合戦は素早く決するべきだ。
そのように考え、原昌俊はあえて強硬な意見を述べていた。
「……懼(おそ)れながら、それがしも献策させていただきとうござりまする」
跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が控えめな口調で発言する。
「跡部、遠慮せずに続けてくれ」
晴信が話の続きを促す。
「有り難き仕合わせ。実は、先達城の背後から編笠山(あみがさやま)の麓に忍び、瀬沢の横腹や背後へ迫る経路がありまする」
跡部信秋が言ったように、小淵沢の北側には雄大な八ヶ岳(やつがたけ)の連峰があり、その南端が編笠山だった。
「この経路はまだ敵に知られておらず、われらは隠密にて兵を進めることができ、先達城から出た兵に釘付けとなっている小笠原勢の横腹を突くと同時に、退路を断つこともできまする。それならば、加賀守(かがのかみ)殿のお考えに沿い、一気に決着をつけられるのではないかと」
「伏兵か」
「さようにござりまする。鬼美濃殿には敵の眼を引きつけるために堂々と進軍していただければ、その間にそれがしが伏兵を絶好の位置に導きまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。