第三章 出師挫折(すいしざせつ)25
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
主君が大広間を後にしても、家臣たちは数名の塊になり、何やら熱っぽく語り合っていた。
原虎胤が信方に近づき、声をかける。
「駿河守(するがのかみ)殿」
「おう、鬼美濃。面白い問答であったな」
「……からかうのは、お止(や)めくだされ。まんまと掌の上で転がされた気分じゃ。それにしても、若君は一皮剥けたように見えましたが」
「そうかな」
「今川義元(よしもと)殿との面会で何かありましたか?」
「いや、さきほど皆に報告した通りだが」
信方が答えた脇から、原昌俊が口を挟む。
「一段高い山を登り終え、御屋形様には新しい景色が見えておられるのではないか」
「新しい景色!?」
原虎胤と信方が顔を見合わせる。
「……昌俊、新しい景色とは?」
信方の問いに、原昌俊が苦笑する。
「この身には、どのような景色が見えているのかまではわからぬよ。なにせ、一門の惣領だけが見られるものだからな。されど、新しい景色が映っている、そんな瞳をなされていたことだけはわかる」
「一門の惣領だけが見られる景色か……」
信方は同輩の言ったことが何となく理解できるような気がした。
「されど、若君の申された合議とは……」
原虎胤の言葉を遮り、原昌俊が言う。
「鬼美濃、もう若君様ではない。われらの御屋形様だ。それも、あの若さですでに先代を超える器量をお持ちの惣領ではないか」
「あ、ああ……確かに」
鬼美濃も思わず頭を掻く。
「ならば、それがしも、もう若とは呼べぬな」
困ったような顔で、信方が笑う。
「普段なら、よかろう。かえってな。そなたの若には、特別の意味がこめられている。公の場では、そなたの好きにすればよい」
原昌俊は同輩の背中を叩(たた)く。
「……ああ、わかった。では、ちょっと、御屋形様と話をしてくる」
信方も頭を掻きながら主君の処(ところ)へ向かう。
晴信は書院に戻り、一人で考え事をしていた。
─少し唐突すぎたであろうか……。されど、このところの出陣で溜まっていた思いが、つい口をついて出てしまった……。
そこへ室の外から声が聞こえてくる。
「信方にござりまする」
「ああ、板垣(いたがき)か。構わぬ、入ってくれ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。