第四章 万死一生(ばんしいっしょう)19
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
弟の信繁(のぶしげ)が幕内を飛び出そうとする。
「待て、信繁!……余も一緒にまいる」
晴信は弟と伝令を伴い、三科形幸と広瀬景房のいるところへ向かった。
二人は地面に正座し、その前に黒母衣(くろほろ)で覆われた遺体が寝かされている。
「そなたら……」
晴信は眼を見開く。
「……申し訳ござりませぬ」
三科形幸と広瀬景房は太腿の上で両拳を震わせ、深く項垂れた。
晴信は遺体を覆う黒母衣をめくろうとする。
「お、御屋形様、お待ちくださりませ。……あまりにも無惨ゆえ」
三科形幸が慌てて止めようとした。
「構わぬ」
晴信は黒母衣を持ち上げ、中を覗(のぞ)く。
そこには首級を失った信方の屍(しかばね)があった。顔がなくとも、その体格ですぐに己の傅役(もりやく)だとわかる。
「……板垣」
そう呟きながら、もうひとつの黒母衣をめくる。
「信綱……。三科、なにゆえ板垣の首級だけが奪われた?」
「……駿河守殿は首実検の最中に修験僧に化けた敵の間者に……仕物(しもの)にかけられたのではないかと」
「信綱は?」
「仕物に気づかれた才間殿が敵の間者と戦うたようで、それがしも修験僧の屍二躰(たい)を見ておりまする」
「……さようか」
眼を瞑(つぶ)り、晴信が奥歯を嚙みしめた。
さらに騒然とした音が響いてくる。
けたたましい蹄音に続き、悲痛な叫び声が聞こえた。
「御注進! 火急の件にござる!」
小山田行村が首袋を抱えて愛駒の背から飛び降りる。
使番の視界に、立ち竦む晴信と信繁。二躰の遺骸と項垂れた二人の騎馬武者が飛び込んでくる。
「……ああ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。