よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 善光寺城山に幔幕(まんまく)が張られ、慌ただしく陣所の設営が始まる。行軍と同じく、ここでも越後勢の動きは素早かった。
 長尾景虎は何よりも怠惰な働きを嫌っており、兵たちにも素早く動くことを課している。それが戦いにおける全軍の規律にも繋がっていた。
 今回、景虎が越後から率いてきた軍勢の数は、決して多くない。
 しかし、この八千余は長尾景虎の手足の如く動ける武辺者(ぶへんもの)が揃っており、この数を少ないと侮れば、越後勢の妙手にはまることは必定だった。
 あっという間に設(しつら)えられた陣所の帟(ひらはり)の下で、景虎は床几(しょうぎ)に腰掛け、険しい面持ちで兵たちの動きを見つめていた。
 その横顔を、離れた処(ところ)から見ていた長老の宇佐美(うさみ)定満(さだみつ)が、家宰(かさい)の直江景綱に囁(ささや)きかける。
「のう、景綱。あれは相当に怒っておられる御顔じゃな」
「……実は、それがしも、さように思うておりました。武田晴信が仕掛けてきた調略に、よほど御立腹なされているのでありましょう」
「毘沙門(びしゃもん)堂での御参籠(ごさんろう)も長かったしのう」
 宇佐美定満が言ったように、合戦の直前になると、長尾景虎は必ず春日山城の毘沙門堂に籠もって戦勝祈願の行を行う。それは数日に及ぶことがほとんどであったが、今回は十日を軽く超えていた。
 越後勢は景虎の参籠が始まったと聞くやいなや、黙って戦支度を始める。
 毘沙門堂から出た景虎は、奉納していた太刀を抜き、霊験(れいげん)の宿りを感じさせるような面持ちで陣触(じんぶれ)を発するからである。その時はすでに、家臣たちの態勢が万端に整っているのが通例だった。
 しかし、今回は待てど暮らせど、景虎が毘沙門堂から出てこなかった。十日を過ぎ、家臣たちの戦支度はとうに終わっており、主君に何かあったのではないかと慌て始めた。
「……おそらく、なかなか鎮まらぬ苛立(いらだ)ちを抑えながら、毘沙門天王様を勧請(かんじょう)なさっていたのでありましょう」
 直江景綱が顔をしかめながら言う。
「されど、行軍の途上、善光寺平に近づくにつれ、鎮めたはずの怒りが再び沸々と湧き上がってきたということか。この短き間に、二人も武田へ寝返ったのであれば、致し方ないとも言えるがのう。さすがに武田晴信も痛いところを突いてくる」
 定満が皺(しわ)だらけの顔を歪(ゆが)めて笑う。
「景綱、こたびの戦は荒れるやもしれぬな」
「ともあれ、間もなく軍(いくさ)評定も始まり、戦い方も明らかになりましょう」
 直江景綱がつとめて冷静に答えた。
 そこへ、本庄実乃が笑顔で近づいてくる。
「御二方が内緒話とは、何か悪巧みでありまするか?」
 この漢(おとこ)は景虎が還俗(げんぞく)した時、最初に栃尾(とちお)城へ迎え入れた補佐役であり、当初からの戦を支えてきた軍師でもあった。
「莫迦(ばか)を申せ、美作(みまさか)。若殿の御顔色が優れぬゆえ、何とかできぬものかと相談していただけだ」
 宇佐美定満が苦笑しながら答える。本庄実乃の受領名は、美作守だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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