第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「はい、さようにござりまする。越後勢は市村の渡し北岸に五千ほどの後詰を残し、本隊が犀川を渡り、海津城を横目に見ながら八幡原を抜けておりまする。しかも、どうやら総大将の長尾景虎が先頭に立ち、全軍を率いていたようにござりまする」
「総大将が先頭!?」
そう呟いた信玄と馬場信房が顔を見合わせる。
「……なんの酔狂であるか。……それから、わざわざ妻女山とやらへ登ったというのか」
この敵方の動きを聞き、途轍(とてつ)もない違和感を覚える。
残暑にもかかわらず、背筋がうっすらと寒くなるような感じだった。
「……孫次郎(まごじろう)、川中島の地図を持て」
信玄は脇に控えていた当番の奥近習に命ずる。
「はっ!」
曽根(そね)昌世(まさただ)は弾かれたように地図を取りに行く。
奥近習が運んできた地図が広げられ、信玄が険しい面持ちで凝視する。脇から馬場信房もそれを覗(のぞ)き込む。
――妻女山とやらに、いったい何があるというのだ?
信玄は図上を指でなぞりながら確認した。
確かに、海津城のすぐ西側には、妻女山という地名が存在している。山間には古墳墓があるため齋場山とも呼ばれており、周辺には松代西条(まつしろにしのじょう)という地名もあるため、その辺りを西条山と呼ぶ地の者もいた。
だが、妻女山は単体でそびえる山ではない。
この辺りは千曲川に向かって突き出された牛の舌のような形の山脈だが、その背後にはいくつもの山岳が連なっている。
千曲川の雨宮の渡しから妻女山に至る道は天城山(てしろやま)、鞍骨山、大嵐山、戸神山(とかみやま)へと続き、それぞれの山頂を繋(つな)ぐ尾根道もある。
そこには手城山(てしろやま)城、天城城、鷲尾(わしお)城、母袋(もたい)城、鞍骨城など、すでに破却された廃城もあるが、とても陣所として使えるような代物ではない。
しかし、妻女山にはいくつかの平地もあり、確かに陣を置くことはできる。
少し先の分道を使って一段低い赤坂山(あかさかやま)という峰に降りることもでき、さらに岨道(そわみち)を下ると海津城の裏手にあたる清野出埼(きよのでさき)の里に出ることもできた。
ただし、こうした経路は地元の猟師や修験僧(すげんざ)のような山の者たちの案内がなければ、とても踏破できるような道ではなかった。
――いかにも面妖な場所への布陣だ……。
それが率直な感想だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。