よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第一回

川上健一Kenichi Kawakami

 山田正雄とは小学、中学、高校とずっと同じ学校だった。水沼は就職、山田は進学だったが一緒に東京に出てきた。以来四十年、これまでずっと月に一、二度は会っている。若い頃は毎週のように会っていた。
「あ、お前、電話に出た女の子をからかったろう?」
 と水沼はいう。水沼と山田は、標準語と田舎語をごちゃまぜにして話している。お互い、その方が話しやすいからだ。田舎語の一言を標準語で表現するには多くの単語を要することがあり、面倒くさいので田舎語を使っている。
「どちら様ですか? ってへるすけ、ワだってへろ、ってへっただけだ」
 ワは私、へるは、言うという単語だ。だから、へろは言えということになる。ワだってへろ、は、私だと言ってください、もしくは俺だと言えということだ。応対したデザイナーの佐伯安里には、我だってへろ、が、ワダテヒロ、と聞こえたのだ。
「電話でうちの女の子からかうなよ。携帯にかけろよ」
「俺の携帯電池切れで、それでお前の名刺さがしてかけたんだよ」
「イガもまだ(お前なあ)、携帯ならいいけど、会社の電話からいきなりヘッペしてらどがって聞こえてみろ、何だか照れくさくてこっぱずかしくなるぞ。ホニホニホニ……」
 と水沼は苦笑する。ホニホニホニ……はあきれ返る感情を表す言葉、もしくはどうしようもないなあという意味だ。
「ほれもほんだな。確かに会社の電話でいきなりへっぺって相手がいったら、ちょっと慌ててしまうよな。ハハハハ」
「だろう? 頼むよな」
「だけど、若いやつならいざ知らず、還暦になったオヤジが照れくさくなるがよ? イガもそろそろおがれ(成長しろ)」
「バガコこのォ。品格、品性、人格の問題だ。歳は関係ない。で、何だ? 今日の父っちゃ杉沢(すぎさわ)のご苦労さん会のことか?」
 高校の同級生で、千葉の小学校校長をしていた杉沢保雄(やすお)が定年退職した。定年になったのは半年も前の三月だった。すぐに退職祝いをしようとしたのだが、杉沢の都合でのびのびになっていた。やっと半年遅れで、東京近郊にいる高校の同級生たちが集まってご苦労さん会を開くのだ。杉沢は高校の頃からすでに老成した風貌を漂わせていて、父っちゃ(父ちゃん)、のあだ名をつけられていた。だから父っちゃ杉沢。仲間うちでは、父(と)っちゃとだけいえば杉沢のことだ。
「うん。父っちゃが一時間遅れるんだそうだ。あのホンツケナシ(何も分からん頼りないやつ)、所用で茨城さ行って、それでこっちに向かおうとして電車に乗ったんだけども、三十分も経ってから反対方向さ乗ってしまったことに気づいて、慌ててさっき降りたとこなんだと」
「バガコだなあ。あれも校長までやったってのに、ひとっつもおがねなあ」
 水沼は苦笑する。
「あれにも困ったもんだのよ。へで、引き返す分、一時間遅れるんだと。だから七時半集合に変更になった。もちろん暇なやつは早く行ってもいいんだけどさ。どっちみち席は確保してあるから」
「お前どうする?」
「俺は最初の予定通り六時半には行く。暇だすけな」
 山田が事も無げに言う。山田が暇ではないことを水沼は分かっている。建設会社の部長だし、業界の世話役もやっているので、会っているといつも頻繁に仕事関係の電話がかかってくるのだ。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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