第一回
川上健一Kenichi Kawakami
電車が停まった。京急線、六郷土手駅。京急蒲田から二つ目の駅で、多摩川に隣接している駅だ。多摩川を挟んで向こう側は神奈川県になり、京急川崎駅のホームがかすかに見える。ドアが開いて水沼はホームに降り立った。
降車する者はパラパラとしかおらず、乗車する客の方が断然多い。駅を少し離れると工場地帯なので、夕方は通勤帰宅者が多くなるのだ。
水沼は腕時計を見る。六時十分。六時半には二十分早い。山田がやってくるまで、『山ゆう』店主の山本摂(やまもとせつ)と話をしていようと早めに会社を出た。
山本摂も高校の同級生だ。高校時代は柔道部の猛者(もさ)だった。水沼と同じく、東京へは就職でやってきた。山本摂は会社勤めを二年やってから、将来は飲食業をやろうと進むべき方向を決めた。会社を辞めて居酒屋に入って修業し、今では二軒の居酒屋を経営している。普段は六郷土手の店の店主として常駐し、もうひとつの川崎の店は妻が切り盛りしている。
同級生という気安さから、水沼たちはよく六郷土手の『山ゆう』に集まっては飲んでいて、毎年同級会の会場としても使わせてもらっている。
水沼は六郷土手駅のホームで前後を見回した。同級生の誰かが、同じ電車から降りたかもしれないと思ったが、誰もいなかった。
水沼は駅を出た。出るとすぐに駅前の小さな商店街があり、目指す『山ゆう』は駅前の道を右に折れた二軒目の建物の一階だ。駅にくっついているといってもいいくらいの近さだ。
水沼は『山ゆう』の引き戸を開けた。
「いらっしゃい! あ、どうも!」
カウンターの向こうの板前の横ちゃんが元気よく挨拶する。横山(よこやま)という名前なのだが、店の客たちは親しみを込めて横ちゃんと呼んでいる。
「今晩は。横ちゃん、相変わらず元気だねえ」
「能天気元気ですからね、私は」
横ちゃんは照れたように笑った。
「おう、いらっしゃい」
カウンターの中の、中程にいる山本摂が笑顔を向けて手を上げた。柔道部の猛者だった面影を残す太い腕、ドラム缶のようなゴツイ体躯。短髪のゴマ塩頭に日に焼けた顔。人の好さが表れている、浅黒いテカテカの笑顔を向けられると、客の誰もがホッとしたように笑ってしまう。
「よう。今晩は。この前はどうも」
水沼も自然に笑顔になってしまう。
「あのホンツケナシどは(たちは)まだだべ?」
と水沼は言いながらカウンターに座ろうとする。
「山田と小澤が来てる。山田はさっき来た。小澤は四十分も前から来てるよ」
山本はテカテカ笑いでカウンターを指さす。
カウンターの奥にいる二人の男が振り向いた。山田と小澤だった。
- プロフィール
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川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。