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S文庫広場
「イギリス・オウム紀行」
「イギリス・オウム紀行」 森達也

 数日後に帰国はしたけれど、このときの取材(1936年に行われたベルリン・オリンピックにおける日本のサッカーチームの活躍がテーマだった)が日の目を見る日はなかなか来なかった。なぜならこの時期のメディアは震災報道一色だったからだ。3月になってようやくオンエアの目途が立ったと思ったら、今度は地下鉄サリン事件が起きて、メディアは震災からオウム一色にスイッチしていた。
 その後も紆余曲折があった。テレビ放送する予定で撮り始めたオウム信者のドキュメンタリーは、ロケ2日が終わった段階で撮影中止を命じられ、最終的には自主製作映画『A』(1998)となった。
 2001年には『A2』を発表した。『A』も『A2』も多くの海外の映画祭から招待されたけれど、国内の動員は伸びなかった。DVD化も大幅に遅れた。危険な映画との認識は、今もあまり変わっていない。ただし時おりオウムについてのコメントを求められる。特に地下鉄サリン事件から20年を迎える今年は、年明けとともにそんな依頼が多くなった。
 新聞や雑誌など活字メディアからの依頼については、基本的に受けることにしている。でもテレビからの依頼については断る場合が多い。特に収録の場合は、意図とはまったく違う方向に編集されてしまう場合が多いからだ。プロデューサーと事前の打ち合わせをしたうえで断ったこともある。不安や恐怖を煽ろうとする姿勢があまりに露骨だったからだ。今のアレフやひかりの輪についてもよく質問されるが、なるべく答えないようにしている。だって取材はほとんどしていない。
 取材そのものは難しいことではない。「ひかりの輪」の代表の上祐史浩とは時おり会う。「アレフ」を実質的に統括していると一部で言われている(僕はそれは違うと思うけれど)荒木浩とは、もっと頻繁に会う。昨年10月に京都の映画館で『A』の特別上映が行われたとき、荒木も観客の中にいた。上映終了後は打ち上げの席にも来て、いつものように常温のウーロン茶を飲みながら(つまみは一切食べない)、にこにこと多くの人の質問に答えていた。
 だから取材はいつでもできる。でもその気にはなれない。なぜなら今のオウム(つまりアレフやひかりの輪)に本質はない。
 今年1月に公安審査委員会は、「アレフ」と「ひかりの輪」に対する団体規制法に基づく観察処分の3年間の更新を決定した。その根拠とされたのは、「両団体とも資金や信者数が急激に増加して」おり、さらにかつての教祖である麻原に対して「依然として深く帰依している」とする公安調査庁の発表だ。公安審査委員会だけではなく多くのメディアも、このデータをそのまま引用した。今もオウムの危険性は変わっていないなどと断定するテレビ番組やテレビニュースを、あなたもきっと見たことがあるはずだ。
 でもここにはトリックがある。公安調査庁は入信した信者数は公表するが、脱会した信者数は発表しない。ならば際限なく増えることは当たり前だ。実際にはこの数年、どちらの団体も入会した信者数よりも脱会した信者の数のほうが多い。つまり全体の数としては、増加どころか微減している。
 ならば彼らが今も麻原に対して「依然として深く帰依している」との指摘は事実なのか。そして仮にそうであれば(それほど単純ではないと僕は思うけれど)、それはなぜ危険なのか。



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〈プロフィール〉
森達也 もり・たつや
1956年広島県呉市生まれ。立教大学卒業。86年テレビ番組制作会社に入社、ドキュメンタリーを中心に数々の作品を手がける。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とする映画『A』を、2001年には続編『A2』を発表。現在は紙媒体での執筆活動が中心。11年『A3』で第33回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『放送禁止歌』『ドキュメンタリーは嘘をつく』『ぼくの歌、みんなの歌』『死刑』『オカルト』『すべての戦争は自衛意識から始まる』他多数。
A3 上
A3 上/森 達也

A3 上
A3 下/森 達也

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