麻原法廷さえ普通に機能していれば、そんな思考の端緒をこの国は、より具体的に掴むことができたかもしれない。でもこの国のメディアと司法は、早く吊るせとの国民の声を背中に浴びながら、その試みを放棄した。あとに残されたのは、不安と恐怖で集団化を加速させるばかりの日本社会だ。ただし信仰は迫害を糧にするのだから、こうした状況でアレフやひかりの輪が変質する可能性はある。つまり社会が危険な要素を充填させているのだ。 以下は民主党政権下時代の法相に、退任後に聞いた話だ。就任早々に麻原の死刑執行命令書を携えて彼の部屋に来た法務省幹部は、「これにサインすれば法相の名は歴史に残ります」と言ったという。しかし彼はその時点で『A3』を読んでいた。だからサインする前に麻原の今の状態を確認したいと申し出て、極秘のうちに東京拘置所に行って麻原の状況を確認した。そこまでを説明してから彼は押し黙った。「で、見たのですね?」と僕は訊いた。麻原が拘置所の独房で糞尿まみれの廃人状態になっているとの情報は聞いている。でもそれは数年前の情報だ。現状はどうなのだろう。「見たよ」と彼はうなずいた。 「どんな様子でした」 でも彼は答えない。しばらく沈黙してから首を横に振って、「筆舌に尽くしがたい。これ以上は言えない。あとは勘弁してくれ」と言った。これを言うと有権者からものすごく反発されることは目に見えていると、申し訳なさそうにつぶやいたことも覚えている。 ある意味で仕方がない。メディアと同様に政治も市場原理で動く。市場(マーケット)が傾斜したのなら、それに合わせて傾斜する。麻原は絶対悪なのだ。だからこそ一審だけで死刑が確定した。もしも精神状態が普通ではないなどと問題提起すれば、終わった裁判の正当性への疑義だけではなく、彼を処刑することもできなくなり、民意から袋叩きになる。ならば触れないほうがいい。こうして人は目をそむける。やがてそむけているとの意識すらなくなってしまう。日本はその傾向が特に強い。 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年は、Windows95が販売された年でもある。つまりネット元年だ。大きな天災と人災に見舞われたこの社会は、新たなメディアを媒介にして、この20年で急激に集団化を加速させた。少数派を排除したい。共通の敵を見つけたい。国家としてまとまって強い指導者を持ちたい。この公式にヘイト・スピーチや北朝鮮、嫌中や反韓に安倍自民党への強い支持、絆や国益や集団的自衛権などのキーワードを当てはめることで、構造はより鮮明になるはずだ。 これが現状の日本だ。そして今のところ、この加速を止める材料はない。今年は麻原処刑を皮切りにオウム死刑囚への処刑が行われるとの見方がある。もしもそれが現実になるのなら、この国の戦後はその瞬間に、70年間の歴史を終えるだろう。新たな苦難の時代の幕開けとして。 エジンバラ大学での上映も盛況だった。多くの日本研究者から、今の日本はどこへ向かおうとしているのかと質問された。 できるかぎりは答えるけれど、僕自身も言葉に詰まることは何度もあった。終わってからパブに行く。「あなたも日本では非国民と言われているのかしら」と女性教員に質問された。 「……たまに言われます」 そう言う僕に、彼女はにっこりと微笑みかける。 「オーケー。胸を張ってください。大丈夫。世界は広いから」 photos archive from University of Manchester Japanese studies