彼も含めて多くの観客は、これほどに宗教と暴力が前景化した現在だからこそ、オウムが日本社会に与えた影響について考えることは当然だと僕に言った。でも僕の知るかぎり、オウムについて最も考えるべき日本のアカデミズム(大学や研究機関)において、こうした動きはとても少ない。ほぼないと言っていいと思う。 サリン事件後、日本のアカデミズムはオウムについて極端に萎縮した。そして20年が過ぎた現在も、「オウムはアンタッチャブル」的な雰囲気はまったく変わっていない。 上映会とディスカッションが終わった翌日、司会を担当した苅谷剛彦教授が、オックスフォード市内を案内してくれた。30数個あるカレッジのすべては重厚な石造りだ。近代的なビルはほとんどない。コンビニもない。歩きながらふと気がついた。監視カメラも見かけない。イギリスは世界一の監視大国だったはずだ。それともオックスフォードだけが例外なのだろうか。そう苅谷に訊ねれば、オックスフォード以外の他の地域でも監視カメラを目にした記憶はあまりないという。 「日本は増えていますよね」 そう言われて、「多いです。もしかしたらイギリスを抜いて世界一かもしれません」と僕は答える。「増え始めたのはやはりオウム以降ですね」とうなずきながら苅谷は、「喉が渇きませんか」と唐突に言う。つまりパブへの誘いだ。もちろん異存などあるはずがない。それから二人で数軒のパブをはしごする。飲むのはエールを半パイントずつ。これをイギリスではパブ・クロールと言うと教えてもらう。 その後に苅谷の教え子たち3人が合流して、カレッジ傍のインド料理店に行く。 「正直なところ、今の日本に帰りたいとはあまり思いません」 インド料理店で最初の乾杯のあと、日本からの留学生がつぶやいた。「まあ確かに」と苅谷がうなずく。イタリアから留学している日本カルチャー研究者が、「子供を育てる国と考えたとき、正直なところ日本は避けたほうがいいような気がします」と言った(彼の妻は日本人だ)。「日本の憲法は本当に変わるのでしょうか」 「今の流れだと可能性は高いです」 「大変なことですね」 「そう思います」 「私たちからすれば、本当にどうしちゃったのだろうという感じです」 ……これは今回の旅で実感したことだけど、海外からの視点で今の日本を眺めたとき、本当に危うく見えるようだ。彼らの多くはネットで今の日本の状況を知る。そしてネットで見ることができるニュースの多くは、MSNなど産経新聞をソースにしたものが多い。 ちょうどこの時期には、鳩山由紀夫元首相が国家の勧告にそむいてクリミアを訪問したとかのニュースが罵倒のような論調でネットには溢れていて、海を隔てながらそんな記事を眺めていると、確かに日本はどうしちゃったのだろうと思いたくなる。発想にオルタナティブがほとんどない。黒か白。1かゼロ。あるいは正義か不正義。その変化はネットを眺めるだけで充分に感知することができる。 そしてこの変化は、間違いなくオウム以降から始まったと僕は断言する。