よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

プロローグ ブーゲンビリアと「星の砂」

澤宮 優Yu Sawamiya

 私は小学生の頃、小柳ルミ子が好きだった。八重歯の可愛さと清純な美しさが好きで、小学生の私は、「わたしの城下町」や「瀬戸の花嫁」をよく口ずさんだ。
 当時は歌謡曲の全盛時代で、彼女は天地真理や南沙織と並ぶ、新三人娘と呼ばれる人気歌手だった。デビュー曲の「わたしの城下町」は新人ながら昭和46年のオリコンチャート1位で、レコード大賞最優秀新人賞を受賞、翌年は「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞した。デビュー以来、次々と大ヒットを飛ばし、曲が日本的な情緒を歌う演歌調だったので、老若男女、すべての世代に人気のある国民的アイドルだった。
「瀬戸の花嫁」は、今でもJR四国の高松駅や今治駅などや、JR西日本の岡山駅などでも駅発着時にメロディーが、瀬戸内海の島々を結ぶフェリーでも歌が流れる。今でも歌い継がれる名曲だ。
 小柳ルミ子の出身は福岡県、私は熊本県と同じ九州という点で親近感もあったのだろう。以来、「京のにわか雨」「花のようにひそやかに」など好んで聞いたが、私が中学生になったとき、今までの彼女とは違った大人の歌唱に魅了された。それが「星の砂」だった。沖縄の八重山(やえやま)諸島を舞台に、愛し合った男女が権力社会の掟(おきて)によって泣く泣く別れ、石垣島の別の男性へ嫁がなければならない哀しみを歌っていた。
 歌詞にこのような文言がある。
 <髪にかざしたブーゲンビリア そえぬ運命に 赤く咲く>
 そのときブーゲンビリアという花の名前を初めて知った。この花は熱帯や温暖な地域で咲く花で、色が鮮やかなことが特色である。そのため沖縄でよく見られ、温暖な地域ではほぼ通年花が咲く。
「星の砂」が流行った頃、私は中学校で苛(いじ)めを受けていた。教師、友人、親にも助けを求められない孤独の中で、私はテレビから流れる「星の砂」に心が癒された。
 歌詞にあるどうあらがっても避けられない主人公の運命に、自分の境遇を重ねていたからだろう。
 以後も中学時代に、哀しい気持ちになったとき、無意識に歌っていた。そして私は東京で生活するようになった。30代後半のとき、そんな忘れがたい歌と、再会したのは、自分にとって苛めを受けた複雑な思いを今も持つ故郷の熊本県八代(やつしろ)市であった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

Back number