よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

プロローグ ブーゲンビリアと「星の砂」

澤宮 優Yu Sawamiya

 ブーゲンビリアの話を聞いた数年後、帰省の折に日奈久温泉を訪れた。6月初旬だった。民家の塀に赤い花のブーゲンビリアがいくつも咲いていた。初めて見る花は予想したものより可憐で薄い色をしており、目立たぬようにひっそりと咲いていた。
「星の砂」を調べてゆくと、元歌は沖縄八重山諸島を舞台にした「八重山哀歌」であるとわかった。八重山諸島の人々は琉球王国の過酷な支配に苦しみ、将来を誓い合った恋人たちが移民政策で別れさせられる悲しみを歌ったものだ。私の頭に<そえぬ運命に赤く咲く>という歌詞のフレーズが何度も甦った。
 しかし、なぜ八代にブーゲンビリアが今も咲くのか、この花が咲くようになった理由はなぜなのだろうか。市役所や観光案内所、日奈久温泉の人々などに聞いても知る人はいなかった。
 八代市から約30キロ南にある芦北町(あしきたまち)でも海岸沿いの丘陵にブーゲンビリアが咲くという。芦北町のタクシーの運転手はなぜこの辺で咲くのかという私の問いにこう答えた。
「何で咲くかわからんですなあ。ずっと前からいっぱい咲くとですたい」
 この地には沖縄県の現在の南城(なんじょう)市や与那原町(よなばるちょう)から児童が疎開した。この近くに「佐敷(さしき)」という駅がある。不思議なことに沖縄県南城市にも佐敷という同じ地名がある。
 何とも面白い符合だ。今、なぜ私の故郷にブーゲンビリアが咲くのか答えはどこにもない。私は疎開した人たちが郷里を偲(しの)んで、植えたのではないかと考えたりする。それをそのまま今日でも、疎開という苦難の歴史を伝えるために地元の人たちが大事に咲かせているのではないかと考えてみたりもする。それは感傷だろうか。
 今私が感じるのは、ブーゲンビリアという美しい花の裏に、沖縄のこれまでの歴史が多く秘められているのではないかということ。かつて苛めを受けた愛憎半ばする故郷ではあるが、花のルーツを知ることで、故郷との関わりから沖縄を見ることに繋(つな)がるのではないだろうか。
 その糸は今も繋がっているが、相変わらずもつれたままだ。丁寧にときほぐし、絡んだ糸のそれぞれが一本の線になったとき、沈黙しているブーゲンビリアが、ようやく口を開いてくれるだろう。そのときブーゲンビリアが沖縄の地へ私を導いてくれるに違いない。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

Back number