よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

プロローグ ブーゲンビリアと「星の砂」

澤宮 優Yu Sawamiya

 考古学の取材で故郷を訪れた際に、私の母校宇土(うと)高校考古学クラブの先輩で八代工業高等専門学校のS教授と話をしていたとき、思いがけない話を聞いた。
「八代は沖縄と関係が深くてね。沖縄で咲くブーゲンビリアが八代でたくさん咲くんだよ」
 S教授は、実際にブーゲンビリアが咲く場所を教えてくれた。その中でも南部の日奈久(ひなぐ)温泉でよく見られると語った。日奈久温泉は県南部で最大の温泉地である。
 さらにS教授は言った。
「八代には沖縄から疎開した人たちが今も多く住んでいるんだよ」
 小学校の同じクラスに宮城さん、國吉君という名前の友人がいたが、二人は沖縄と関係があるのだろうかと気になった。それまでの私には沖縄は遠い南国の島で、別世界の出来事ととらえていたからである。昭和47年に沖縄が日本に復帰した時も、ただめでたいことだという思いしか持っていなかった。沖縄戦やひめゆりの塔の話は知っていたが、同じ南国とは言え、私には異国の出来事でしかなかった。
 ところが私の故郷に、多くの沖縄の子供たちが戦争から逃れて疎開して来ていた。その事実にも驚いたが、そう言えばと私は高校時代のことを思い出した。
 高校時代の考古学クラブで出かけた曽畑(そばた)貝塚から出る曽畑式土器は沖縄でも発見されていた。
 小学生の子どもの夏休みの自由研究を手伝っているときだった。郷土史の勉強で、本を読んでゆくと、昭和19年に沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が東シナ海で米潜水艦の魚雷にやられて沈没した事件を知った。このとき沖縄からの学童集団疎開を調べると、私の母の故郷の熊本県八代市の日奈久温泉にもっとも多く疎開していることがわかった。対馬丸に乗った人々も、長崎港で降りて、日奈久などの疎開先に向かう予定だったと知ってそのつながりに愕然(がくぜん)とした。
 そこまで思いを巡らすたびに、私は思う。いったい沖縄はどこまで自分に関わってくるのか、払いのけようとしてもまとわりつく。ここまでくれば偶然というより、太い糸で結ばれた縁(えにし)としか言いようがない。しかも古代史、疎開、ブーゲンビリアなどそれぞれが故郷と絡みあっている。ときほぐすには時間がかかるが、そのとき自分にとっての沖縄とは何かという問いに一つの答えを出すことができそうな予感がする。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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