よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

 死ぬならば褥(しとね)の上で死にたい。どうせなら病に苦しむことなく、眠るように冥途へと旅立ちたい。それが常人の当然の願いではないのかと、義久は思う。もちろん義久自身も、平穏な死を望んでいる。
「ないごて戦場で死にたがるとじゃ」
 素直な気持ちを弟にぶつける。
 先刻よりも幾分大人しくなった義弘は、頭を横にむけて兄から目を逸(そ)らし口を尖(とが)らせた。
「兄者にはわかりもはん」
 子供に戻ったような邪気のない声に、義久は思わず吹き出してしまった。その声を聞いた義弘が、ふたたび眉間に深い皺を刻んで上座をにらむ。
「武士が戦場で死にたいと願うのが、兄者にはわかりもはんか。そげなことじゃ、兄者は島津ん当主ではあっても真(まこと)の武士とは言えんど。城ん中で政を仕切っとるんがお似合いじゃ」
 義弘自身は気付いていないだろうが、弟は鬼島津と呼ばれる武人のそれではなく、幼少の頃の心根に戻っている。さっきまでの重苦しい殺気は消え失せ、なにを言っても一向に動じない兄に対して苛立(いらだ)っているだけだ。苛立ちを言葉にして素直にぶつけてくる様は、まさに幼かった頃の義弘そのものであった。こういう時、義久は決して動じない。なにを言われても己のまま弟に相対するのが常だった。
「そうじゃ、わいの言う通りじゃ。おいは戦より政が好きじゃ。じゃから、おいにはわいの気持ちが良うわからん」
 義久は、弟を鏡だと思っている。
 義弘は純真無垢(むく)であるからこそ、くもりひとつ無い鏡でいられるのだ。こちらが真心で相対すれば、義弘も真心を顕(あら)わし、こちらが邪心を持って立ち向かえば、邪心で迎え撃つ。
 だから弟は、戦場では比類無き強さを誇る。
 戦場は憎しみと怒りと恐れの坩堝(るつぼ)だ。そこに立つ者たちは慈愛や憐憫(れんびん)を心の奥底に仕舞い込み、敵を屠(ほふ)る一事にのみ気持ちを収斂(しゅうれん)させてゆく。そしてその暗澹(あんたん)とした想いは、刃とともに敵にむけられる。
 殺意の奔流に立つ時、義弘は誰よりも巨大な殺意の旋風となるのだ。義弘という躰を借りた死の竜巻は、手あたり次第に敵を呑(の)み喰(く)らう。敵が抱いた悪しき想いが強ければ強いほど、その想いを受けて義弘は強くなる。
 純真であるが故の強さ。それが義弘が鬼島津と呼ばれる所以(ゆえん)であると義久は思っている。
 だからこそ誠実に相対するのだ。義久が心を開けば、どれだけ激していようとも弟もかならず心を開いてくれる。
 六十六年もの長き歳月によって培われた、兄弟の呼吸であった。
「そいで良かとじゃなかか。おいがわいの気持ちがわからんように、わいもおいの気持ちはわからんやろう。そいで儂等兄弟はこいまでやってきたとじゃなかか。わいや死んだ家久が戦場で暴れ回り、戦が無か時は、おいが政で家臣たちや民を安んじる。そうやなかか義弘」
「じゃっどん兄者も武士じゃなかか」
「たしかに武士じゃ。が、わいのごたる荒武者じゃなか」
 とにかく、と言って義久は弟の顔を真剣に見つめる。
「おいはわいに死んでもらいたくはなかったとじゃ」
「じゃっどんっ」
 両手を床に突き、義弘がうつむいた。
「そん所為で、豊久を死なせてしもうた。豊久だけじゃなか。儂を死なせちゃならんと、大勢の家臣たちが死んで行ったとじゃ兄者」
 固く閉じた瞼から大粒の涙がひとつ零(こぼ)れ落ちて床を濡らす。
「そいは、わいの所為じゃなかとか義弘」
 泣き苦しむ弟を、義久は突き放した。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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