ドン・ロドリゴと首なしお化け
東山彰良Akira Higashiyama
「じつは」ドン・ロドリゴが声を落とした。「ここはむかし戦場になったことがあるんだ」
「ここって……」ぼくは地面を指さした。「このホテル・ランゴスタという意味ですか?」
「まさにいま我々がすわっているこの場所さ」
囲炉裏の火がパチッとはじけて、火の粉が暗闇に吸い込まれていった。
「革命のころ、このホテルは国軍に接収されとった。パンチョ・ビリャに攻められてもびくともせんかったが、もちろん誰も無傷というわけにはいかんさ」
言葉を切ったドン・ロドリゴの双眸(そうぼう)には、揺らめく炎が映っていた。
ぼくは彼がふたたび口を開くのを待った。メキシコ革命のとき、グアナフアトでも激しい戦闘が行われたというのは本当だ。国軍のアルバロ・オブレゴンは、馬を駆って突進して来るしか能がないパンチョ・ビリャ軍を機関銃で撃って、撃って、撃ちまくって負かした。
つまり、とぼくは考えた。ドン・ロドリゴの夢に出てくる首なしお化けというのは、勝ち戦のさなかで敵に捕まって首を刎ねられた哀れな国軍兵士だったのだろうか。
ドン・ロドリゴはかなり長いあいだ、無言で火を見つめていた。話の運び方を考えているようにも、なにも考えていないようにも、途方に暮れているようにも見えた。
ルイーザがやってきて、飲み物の注文を取っていった。そのとき彼女と交わした他愛ない世間話が、ドン・ロドリゴの気鬱をいくぶん晴らしたようだった。ふたたび口を開いたとき、ドン・ロドリゴはすっかり愁眉を開いていた。
「わたしが言いたいのは、ハビエル・オチョアを最後に、わたしはすっぱりと殺し屋稼業から足を洗ったということなんだ」
オチョアと首なしお化けのあいだにどんな関係があるのかはわからない、とドン・ロドリゴは言葉を継いだ。たまたまオチョアを殺したタイミングで、わたしの業(ごう)のようなものが地獄の扉を開けてしまったのかもしれん。首なしお化けがじつはオチョアの身内だったということだって考えられる。いずれにせよ、首なしお化けの夢はなにかのメッセージにちがいないとわたしは思ったんだ。
無論、最初はそんなふうには思わなかったさ。あのころわたしはまだ四十をいくつか過ぎたばかりで、まさに脂の乗った男盛りだった。組織からは信頼されていたし、金だってうなるほど持っていた。女なんて、よりどりみどりだったよ。しかし、いざ仕事をやろうとすると、なにかがすこしずつズレているような感覚を抱くようになった。仕事にとりかかるまえには、かならず首なしお化けの夢を見た。それがいつもひどい悪夢なんだ。目が覚めてもはっきり憶えていて、その日一日の行動に影響が出るくらいの不安を感じた。わかるかい、ダビッド?
「わかりますよ」とぼくは答えた。「夢のお告げに従わないと、ひどいことが起こりそうな予感がするときがあります」
「しかり!」ドン・ロドリゴがはたと膝を打った。「まさにそんな感覚だ」
- プロフィール
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東山彰良(ひがしやま・あきら) 1968年、台湾台北市生れ。9歳の時に家族で福岡県に移住。2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞受賞の長編を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で、作家としてデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞を、15年『流』で直木賞を、16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞を受賞。17年から18年にかけて『僕が殺した人と僕を殺した人』で、織田作之助賞、読売文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞する。『イッツ・オンリー・ロックンロール』『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』『夜汐』『越境』『小さな場所』『どの口が愛を語るんだ』『DEVIL’S DOOR』など著書多数。訳書に『ブラック・デトロイト』(ドナルド・ゴインズ著)がある。