-短編ホテル-「ドン・ロドリゴと首なしおばけ」

ドン・ロドリゴと首なしお化け

東山彰良Akira Higashiyama

 たとえば、西へ行くのは鬼門という夢を見たとしよう。西のほうには首なしお化けが待っとって、ありとあらゆる悪だくみでわたしを破滅させようとしている。汗びっしょりになって目を覚ましたわたしは、今日は西へ向かうのはよそうと思う。今日だけは、なにがなんでもおことわりだ。しかしそんなときにかぎって、わたしが殺さねばならない相手は西のほうにいて、わたしがもたもたしている隙に逃げてしまうんだ。
 たとえば、夢に犬が出てきたとする。ひどく痩せた、疥癬病(かいせんや)みの汚い犬だ。犬はなにかもらおうと、わたしについてまわる。わたしはうんざりして、その犬を蹴りつける。すると犬の頭がぽろっと落ちて、そこから首なしお化けが這い出してくる。そんな夢を見た翌日には、誰もが世界中の犬に対してやさしくふるまうだろう? わたしだってそうだ。いまにも標的が現れるかもしれないというときに、みすぼらしい犬が尻尾をふりながら近づいてくる。すると、わたしはもう気が気じゃないんだ。蹴飛ばして追っ払うなんて論外だ。かといって、犬にまとわりつかれていたら標的に気づかれちまう。わたしは苛立(いらだ)って、犬をなだめすかす。ポケットのなかをひっくり返して、なにも持ってないことを教えてやる。ほら、わんこ、なにも持ってないんだよ、嘘じゃないだろ? するとうしろからいきなり頭をガツンと殴られて、気がついたときには何カ月も追ってきた標的はまた雲隠れさ。
 首なしお化けとサシで酒を飲む夢も見たことがある。首がないのにどうやって酒を飲むんだろうと不思議に思っていると、首なしお化けは両手でわたしの頭を引っこ抜いて、自分の首にはめるんだ。やつはそうやって、わたしの口を借りて酒を飲むのさ。それからまた頭を引っこ抜いて、わたしに返して寄こす。今度はわたしが自分の頭を首にはめて酒を飲む。何度かそんなことをしているうちに、わたしは自分が誰なのかわからなくなってくる。ひょっとすると、首なしお化けがわたしで、わたしが首なしお化けなのか? わたしたちは酒を飲んでいて、酒瓶のなかにちっぽけなグサーノいもむしが沈んでいる……ご明察だよ、ダビッド。翌日の仕事の打ち合わせで、夢のなかとまったく同じ酒が出されたんだ。オアハカ州のちょっと珍しいメスカルさ。瓶のなかのグサーノを見たとたん、わたしは組織の幹部たちのまえで盛大に吐き散らしてしまったというわけさ。
「わたしの考えでは、呪いや悪運のようなものは、人間だけじゃなく場所にも憑くものなんだ。だからこのホテルの部屋を引き払って方々を転々とした。最後に行き着いたのが──」
「うちの療養所というわけですね」
「いまでも首なしお化けの夢を見ることがある」ドン・ロドリゴは首をふりながらつづけた。「むかしとちがうのは、わたしがもう誰のことも殺すつもりがないということさ。だから悪夢は、ただの悪夢にすぎなくなったんだ。現実の生活にまで手出しをしなくなったのさ」
 なるほど、とぼくは言った。「悪い呪いだと思っていても、結果的によかったものもあるとおっしゃってたのは、そういうことだったんですね」

プロフィール

東山彰良(ひがしやま・あきら) 1968年、台湾台北市生れ。9歳の時に家族で福岡県に移住。2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞受賞の長編を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で、作家としてデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞を、15年『流』で直木賞を、16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞を受賞。17年から18年にかけて『僕が殺した人と僕を殺した人』で、織田作之助賞、読売文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞する。『イッツ・オンリー・ロックンロール』『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』『夜汐』『越境』『小さな場所』『どの口が愛を語るんだ』『DEVIL’S DOOR』など著書多数。訳書に『ブラック・デトロイト』(ドナルド・ゴインズ著)がある。