-短編ホテル-「ドン・ロドリゴと首なしおばけ」

ドン・ロドリゴと首なしお化け

東山彰良Akira Higashiyama

 ぼくたちが療養所を留守にしていた二日のあいだに、マヌエル・ブランコは何者かに殺されて──十中八九、麻薬絡みだが──車の往来が激しい幹線道路の歩道橋から吊るされてしまった。
 信じられない、信じられない、といまだショック状態にあるルーペ・カザレスがまくしたてた。
「マヌエルなんて小物もいいところじゃない! それともなにか大きな取引にかかわってたの? あの人たち、人の命をなんだと思ってんのよ!?」
 そのときぼくの頭を占めていたのは、マヌエルから託されたあの写真のことだった。もしこいつの使い時が来たら、、、、、、、、、、、、、おまえにはわかるはずだ、、、、、、、、、、、。あのとき、マヌエルはそう言った。そのときにどうするかはおまえにまかせるよ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 もちろん、真っ先に念頭をよぎったのは警察へ駆け込むことだった。だけど、自分がけっきょくそうしないことは知っていた。ここはメキシコだ。マヌエルを殺したやつらの息がかかっている警官だって、いないとはかぎらない。のこのこ警察署へ出かけていくのは、自分で自分の棺桶を注文しに行くようなものだった。
「わかるよ、ダビッド」ドン・ロドリゴが慰めてくれた。「詳しいことは訊かんが、きみの考えていることは正しい。もしいまいる場所がいちばん安全なのだとしたら、そこでじっとしとるのがいちばんいい」
 ぼくはドン・ロドリゴに写真のことを打ち明けようと思った。いつものタマリンドの下のベンチで、いつもの気怠い午後に、思い切って助言を求めようとした。たとえドン・ロドリゴが殺し屋ではないにしても、作家として裏社会について知っていることがあるはずだ。ぼくはなにも言わなかった。黙って家に帰り、あの写真に火をつけた。写真の裏にあったパスワードのようなものは、マヌエルのパソコンのどこかに隠されている秘密のフォルダーを開くためのものかもしれない。下手に知れば命取りになりかねないものなんて、やはり燃やしてしまうにかぎる。
 三つめの奇妙なつながりは、まさにこの写真に手繰り寄せられたようなものだ。
 ドン・ロドリゴが見知らぬ男たちに殺されたとき、ぼくたちは療養所の裏手にある径(こみち)を散歩していた。曲がりくねった坂道を、ぼくはドン・ロドリゴの車椅子を押して下っていた。石ころのほかには、ウチワサボテンやユッカがぽつぽつと道端に生えていた。
 そのふたりの男はまさにぼくたちの行く手から、まるで蜃気楼のようにゆらめきながら坂道をのぼってきた。大きな夕陽を背にしていた。ひとりはきちんとした身なりをしていて、もうひとりはくだけたかっこうだった。
「やあ、こんにちは」
 彼らはドン・ロドリゴの挨拶に対して軽く頭を下げた。
 ぼくたちのまえで足を止めると、身なりのきちんとしているほうが黒いジャケットの内ポケットから写真を一枚取り出して、まずぼくと写真を見比べ、それからドン・ロドリゴと写真を見比べた。くだけたかっこうをしているほうが身なりのきちんとしたほうの手許を覗きこみ、まずドン・ロドリゴを指さし、それから写真を指さした。彼らは顔を見合わせてうなずいた。
 そして、ドン・ロドリゴがあっという間に殺されてしまった。くだけたかっこうをした男が、車椅子にすわっているドン・ロドリゴの胸をナイフで三度突いた。それだけだった。刺し口から黒い血が広がっていく。ドン・ロドリゴは口をぱくぱくさせ、すぐにその口から血の泡が流れ出てだらだらと胸に垂れた。
 ぼくは腰砕けになって、その場に尻餅をついてしまった。

プロフィール

東山彰良(ひがしやま・あきら) 1968年、台湾台北市生れ。9歳の時に家族で福岡県に移住。2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞受賞の長編を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で、作家としてデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞を、15年『流』で直木賞を、16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞を受賞。17年から18年にかけて『僕が殺した人と僕を殺した人』で、織田作之助賞、読売文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞する。『イッツ・オンリー・ロックンロール』『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』『夜汐』『越境』『小さな場所』『どの口が愛を語るんだ』『DEVIL’S DOOR』など著書多数。訳書に『ブラック・デトロイト』(ドナルド・ゴインズ著)がある。