-短編ホテル-「蝸牛ホテル─hôtel de escargot」

蝸牛ホテル─hôtel de escargot

平山夢明Yumeaki hirayama

「この通りの体格なので普段、私はあまり表に出ません。ホテルの雰囲気を壊してしまう怖(おそ)れがあるのでね」ウルマは、ふふと苦笑した。するとそこへ歳嵩(としかさ)の女が、ノマを案内してきたメイドと一緒に現れた。女は殆ど黒にしか見えない赤いスーツに身を包んでいた。髪は結い上げで金髪、顔は白く彼女もウルマ同様、西洋人の血が混じっているのだろう。彼女が入室した途端、部屋の中の空気がピンッと張り詰めた。
「ルシーフ、どうかね?」
 女は手にしたバインダーを前に持ち直し、椅子に座ったノマを見下ろした。先程、ウルマが醸し出していた和やかな雰囲気は吹き消され、ノマはルシーフの瞳と目が合った瞬間、自分が虚偽の応募者とバレ、、たのを確信した。
 ノマが視線を逸(そ)らすと、その頭上で声がした。
「結構です」
 驚いて顔を上げたのはノマだった。
 待ち望んでいた答えを耳にしたかのようにウルマが頷いた。「結構」
 状況が呑み込めないノマは犬のように追い出されるか、警察を呼ばれるのを覚悟し、椅子の上で身を固めていた。
 ウルマは彼女に向き直ると静かな声で告げた。
「試用期間なしの週給十万からではどうかね?但(ただ)し、休みは週に一度だけ。その他にも様々な規約が会員制ホテルという性質上あるのだが、細かな条件ことはルシーフに説明させよう。充分に理解した上で契約し給え」
 ルシーフと自分を連れてきたメイドが、先程までの硬質さが嘘だったかのように微笑んでいた。
「わたし……雇って戴(いただ)けるんですか……」
「勿論(もちろん)。君さえ良ければ」
 ウルマは両手を拡げて云った。
「ありがとうございます」
 ノマは泪(なみだ)がこみ上げそうになるのを必死で抑えた。 
「では、此方(こちら)へ」
 ルシーフがノマを促した。

プロフィール

平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。