蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
火曜日〈Tuesday〉
「今日からリネン係になります」ルシーフはノマにそう告げた。「O(オー)棟です。ふたりで行います。ソーニャとペアを組みなさい」
するとノマの後ろから同じ年頃の女が現れた。色白で目が青みがかっている。
「よろしく御願(おねが)いします」と、ノマは微笑んだ。
ソーニャはただ見ていた。
O棟はホテルの裏側に当たり、今迄いた東棟や西棟よりも暗く静かだった。ソーニャは各階にあるリネン室で、交換用のシーツや掃除用具をノマに指示しながらカートに詰め込んだ。そして二階から各部屋を回るのだが、部屋は各階に六つと圧倒的に数が少なく、またその分、内部は広かった。ノマはまるで王様の部屋だと胸の中で思った。ソーニャの仕事ぶりは完璧だった。室内に入った時から流れるように作業を進めていく。ノマはその後を必死に付いて行くので精一杯だった。二階を終えると洗濯するリネンを袋に詰め、廊下に出しておく。それから三階へ。汚れ物は男達が回収するのだ。男達はリネンを回収し、洗濯し、戻す。そして掃除用のモップや液体洗剤などの消耗品の補充も彼らの仕事だった。
こうしてノマはO棟専属の日々を更に十日ほど続けた。
火曜日、その日は二階から五階まで行った処(ところ)で昼休みになった。するとソーニャは「ちょっと」と声を掛け、ノマを六階の部屋に連れて行った。メイドキーで鍵を開け、室内に入るとベッドに倒れ込み、伸びをした。そして立ったままのノマに「楽にして良いのよ。どうせ、自分たちで片付けるんだから」と笑った。それから腕時計を見、「あと三十分ある」と告げた。そこにはいつも黙々と作業を進めていた人とは思えない姿があった。
彼女は立ち上がると備え付けの冷蔵庫〈普通の家庭用サイズ〉を開け、中から飲み物とサンドイッチを出した。戸惑うノマに「食品や果物はどうせ廃棄されるものだし、飲み物は男達が目をつぶってくれるの」と皿を押しつけ、更に「この建物には監視カメラも隠しカメラもないの。でしょ?」と付け加えた。
ノマは一瞬、躊躇ったが、ソーニャの理屈も理解できた。何よりも自分たちは仕事はちゃんとしていると云い聞かせ、三角に切られたボリュームのあるエッグサンドを手に取った。口に含むとまずマシュマロのように柔らかでモチモチした噛み応えとパン生地の香りが鼻を通り、次にスクランブルエッグの柔らかさ、適度な塩味が黄身の甘さをぐっと引き立てながら口いっぱいに広がった。
「おいしい……」思わずそう声を漏らすとソーニャが満足そうに頷いた。それを見てノマは、今迄胸の中で育っていたある疑問を口にした。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。