蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
「どういうことですか」
「誰かを捜しているのよ」
「え?」
「よくわからないんだけど……このホテルの全員が誰かを必死になって捜している感じなの。救世主とか……あと……莫迦(ばか)みたいだけど」そこでソーニャは一旦、言葉を句切って「悪魔とか」と云って苦笑した。
ノマは何と返事をして良いのか判らず黙りこくっていた。
ソーニャはそんな雰囲気を掻き消すように「うっそ!」と声を上げ「あはは」と笑った。
ノマも同調しようと微笑んだ。
勤務明け、コウと共に駅へ急いでいると黒い高級外車が傍らに並んだ。顔を上げるとフィルムを貼った後部座側の窓が下がり、小熊のようなウルマの笑顔が見えた。
「やあ。家まで送るよ、ノマ」
ウルマの隣にはルシーフが座っていたが、彼女は手元の資料に目を落としていた。
「ありがとうございます。でも結構です。買い物もあるので……」
「息子さんだね」
「コウです。いつもプレイルームで預かって戴いて感謝しています」
「可愛(かわい)らしい。実に可愛らしい」ウルマは笑顔の皺をより深く刻んでコウを見つめた。そして「あ。そうだ」とポケットからふわふわした白い熊のキーホルダーを取り出すと窓から手を突きだした。「母の故郷の縁起物だ。子供を魔物から守る力があるそうだ」
ノマが躊躇っているとコウが先にウルマの手からそれを受け取った。
「結構。実に結構」
「そんな大切なもの。コウ、お返ししなさい」
ウルマが「フフフ」と笑い背広を拡げると、内側に同じキーホルダーがいくつも勲章のようにぶら下がっていた。「君がとてもよく働いてくれるからだよ、ノマ。私はいつも報告を受けているのだ。そうだ。ノマ、君もユニオンに加入し給え。家族ぐるみで互いに支え合うことができるぞ。シングルマザーには打って付けだ。君は特別だよ、ノマ」
「はい。考えておきます」
「ユニオンなどと云っても堅苦しく考えることはない。一緒に働く者同士の親睦組織。つまりは互助会のようなものだ」
「ソーニャには気を付けて」不意にルシーフが云った。「直にあなたが代わりになるわ」
ノマが驚いているとウルマは何も聞かなかったかのように『さようなら』と軽く手を振った。車はスピードを上げて街の灯(あか)りの中に紛れて行く。
コウが貰った熊を頬に付け「くすぐったい」と笑った。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。