-短編ホテル-「蝸牛ホテル─hôtel de escargot」

蝸牛ホテル─hôtel de escargot

平山夢明Yumeaki hirayama

「うん。それは疑ってない。でも、それが事件かどうかはわからない。中には気味の悪い映画を大音量で楽しみたい人もいるかもしれないから」
「はあ」
「この事は私から支配人に報告しておくわ」
「はい」
「それとね……」サリはノマの顔を覗き込むようにして云った。「彼女の事なんだけれど」
「彼女?」
「ソーニャよ。あんなことになってしまったけれど。いずれにせよ、彼女は退職させられる筈(はず)だったの。彼女、ホテルの備品を勝手に持ち出して転売していたのよ」
「え?」
「かなり高額な物まで含まれていたからルシーフは賠償請求すると主張したんだけど、支配人が止めたのよ。それではホテルの信用に傷が付いてしまうから。それにどうやら虚偽の申告で入社した疑いもあるらしいの。本当に何処まで厚かましいのか……」
 サリはそう云って目を伏せる。長い睫(まつげ)が廊下のライトに照らされ、頬に小さな影法師を作った。
「あら?ないわ」サリはノマを見た。「ねえ?ないわよねえ……時計」
「あ!さっき転んだ時にベルトが切れてしまって。でも、ここにあります」ノマはポケットから時計を取り出した。サリは小さく頷いた。
「私達のサービスには、とても大切なものよ。来なさい」
 彼女はノマの先を歩き出した。踊り場に戻ると、汚れ物がリネンの袋ごと消えていた。
「あ、わたし、袋を置きっ放しにしてしまっていて……」
「知ってるわ。一緒だったでしょ。きっと男達が片付けてくれたのね」

プロフィール

平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。