蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
237号室はO棟の七階にあり、そこは最上階でもあった。
「七階ということが素晴らしいのよ。最高なのね」案内するサリが溜息交じりに呟く。
床には他の階とは違い、六角形の模様をしたカーペットが敷き詰められていた。
廊下の正面、突き当たりが237号室だった。そこだけ他の部屋とは違った重々しい扉が付いている。
「二階じゃないんですね」
「ふふふ。単なる部屋番号ではないの。謂(い)わば、シンボルね」
サリは把手のように大きな鍵を取り出すと鍵穴に入れ、回転させる。廊下に響くほど大きな解錠音がした。
「どうぞ」サリが樫(かし)でできているように重々しい木製の扉を開けた。その途端、白檀(びゃくだん)のような香の匂いが鼻を撲(ぶ)つ。内部は西洋絵画に登場する王の居室そのものだった。窓に沿って暖炉があり、その上に三人の金色のとんがり帽を被(かぶ)った女達が裸の男と共に浮遊している画があった。浮遊する者達の下ではベールを被った老婆が踊っている。
「不思議な画」
「ゴヤよ」サリが云う。「魔女たちの飛翔」
サリは厚いカーテンを開け、室内を明るくすると隣の寝室に向かった。豪奢(ごうしゃ)な模様の付いた絹の天蓋の下に馬でも横たわる事ができそうな巨大な寝台が設置してある。
「居間、書斎、寝室、客間があるの。面積で云うと一八〇平米近く」
と、その時、ノマは躯をポンッと押されたのを感じた。反射的に振り向くが勿論、誰かが居るはずもない。しかし、サリの顔色がサッと変わったのを見た。
「どうしたの?」何事もなかったかのようにサリは微笑んだ。
「いえ」ノマはもう一度、確認するかのように周囲を見回した。「なんでもないわ」
それから部屋を出、廊下を戻るとサリはノマを一人用の狭いブースに連れて行った。真っ赤に塗られた板で組み立てられたブースを見てノマは、その狭さから、あの日の電話ボックスを思い出した。小机と椅子が添えられている。机に昔のドラマで見るような送話器と受話器が別々になった卓上電話があった。但し、台座にはダイヤル盤の代わりに小さな赤と白の釦が付いていた。
「あなたは此処で会長やこの階にある部屋のオーダーを受けるの。注文を聞き終えたら、一度切って、それから受話器を取って白い釦を押せば、担当が出るわ。注文を伝えて」
「赤い釦は?」
「それは会長以外に使用しないわ。此処に詰める時間は二十二時から三十時まで。237のオーダー以外は伝えるだけで良いわ。237に関しては掃除もリネンの交換も三十時以降、掃除用に着替えてから行う」
「三十時……明け方の六時だわ。そんな時間に清掃するんですか?」
「勿論、すぐに行う必要はないのよ。仮眠を取ってから退勤までの間、遅くとも午前の早い時間に済ませてくれれば構わない。ただそうなると拘束時間が長くなってしまうわ。実はそこが237号室の問題点であり、矛盾でもあるの。他の部屋のように数人で担当できれば良いんだけれど会長はそれを嫌うの。担当以外で出入りを許されるのは私とルシーフ、それと支配人だけ」
「責任重大だわ」
「そうなの。237号室に関しては全てあなたの仕事、あなたの責任になる。けれど見返りは想像以上のものがあるから期待して良いわ」サリはそう云って強く頷いた。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。