蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
「え?」ノマはサリの言葉に驚いた。「ユニオン?」
「そうよ。プレイルームのスタッフも利用者も全員がユニオンの加盟員なの。つまり、あなたもね。自動的にそうなっているのよ」
「知らなかった」
「コウ君は知っているわよ。彼はユニオンでも人気者だから」
サリは戸惑うノマに向かいウィンクをしてみせた。
「ボクは神なんだって。世界の誰よりも強くてなんでもできるんだって」
休みの晩、寝物語に絵本を読もうとしたノマにコウは云った。
「神なんて、ちょっと大袈裟ね」
「そんなことないよ。ボクは人だって殺せるんだよ。殺しても全然、平気なんだよ。悪い奴(やつ)らなんだから。敵はミナゴロシにしてやるんだ!」
「ちょっと!そんなこと云っちゃいけません!誰がそんなこと云ったの!」
母親の剣幕にコウは怯(おび)え、毛布に顔を埋(うず)めた。
「ごめんなさい」
「コウ……人を殺すなんて事は絶対に駄目なのよ。良くない事なの。わかる?」
ノマはコウの顔を毛布から出すと、優しく云い聞かせるように云った。
「うん」子供は素直に頷くと母親の胸に顔を埋め、目を閉じた。
何処かで鳥の鳴く声がした。
その夜、昼夜逆転のせいでなかなか寝付けなかったノマはコウが確かに─「レッドボタン」と寝言で呟くのを聞いた。
次の勤務日、プレイルームにコウを連れて行くと年配のメイドが不意に云った。
「ルシーフから噂(うわさ)は聞いてますのよ。あなたが救世主なんですってね」
「え?なんですか?」ノマは思わず問い直した。
その瞬間、部屋中のメイドが振り向き、射るような視線を年配メイドに送った。
「あ、私……なに云ってんだろ……あは。ごめんなさいね」
その女はあからさまに狼狽(ろうばい)しながら部屋から出て行った。
「あのおばさんだよ」コウがノマを見上げて云う。「いつも、スプレーで遊んでくれる人」
勤務に就くと、その夜はエレベーターが何度も開いた。突然、ガコンッと重い音がするとモーターが動き、七階に到着すると軽くベルが鳴る。するするとドアが自動的に開き、やがて閉まっては降りていく、を何度も繰り返すのだ。故障なのではないかと一度、O担に連絡するも『問題ありません』と、取り付く島もないトーンの声が返ってきた。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。