蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
「これはモデナの地獄だね」八十をとうに過ぎているであろう古書店主はノマの描いたイラストを見て頷いた。「そしてこっちはフュースリーのマクベス」
ノマはゴヤの「魔女たちの飛翔」以外にも237号室に飾られていた画を探した。ホテルの姿を掴(つか)むのに、何かヒントはないか藁(わら)にも縋(すが)る思いだった。五軒目に辿り着いたこの店の主だけがノマの話に付き合ってくれた。狭い店内には洋書を含め、大量の芸術書が鮨(すし)詰めになっており、床にも横積みされていた。
「このモデナの悪魔は地獄で裏切り者や罪人を口から喰(く)っては、また尻から出す。尻から出た罪人を喰うという罰の無限ループを表すとも云われとる。尻から喰うとも云われとるがね。マクベスの方は三人の魔女に操られた生首が未来の予言をしとる処。作者のフュースリーは他にも夢魔と云う有名な作品がある」店主はそう云うと画集を広げた。
そこにはベッドに横たわる女の上に天邪鬼(あまのじゃく)のようなモノが乗っている画が載っていた。
「だが、あんたみたいな女の人がこんな画に興味を持つなんて珍だの」
「ちょっと知り合いの家で見たのが気になって調べてたんです。その方の家にはゴヤの魔女たちの飛翔っていうのが大きく飾ってあって……」
「魔女たちの飛翔……けっ。全く変わった御仁じゃの。ゴヤは他にもこんなのがある」
先程よりも更に大判の画集を店主は帳場に広げて見せた。それを見てノマは息を呑んだ。
「女に囲まれている角の生えた黒山羊(くろやぎ)が悪魔じゃ。周囲にいる若いのも年寄りも、みんな魔女での。右に居る婆(ばあ)さんは痩せた赤ん坊を差し出しとるだろう。これが生贄(いけにえ)だ。悪魔は子供が大好物じゃから」
ノマは背中に冷水を浴びせられたように身震いした。
「この画は、あんたが見たという飛翔も含む魔女六連作の一枚なんじゃ」店主は顔を上げた。「魔女の宴。もし、あんたがこんな画を好きな男と付き合おうと思っているなら止めるね」
ノマはそれから図書館に行くと魔女関連の、特にサバトについて調べた。そして次の一文に突き当たった時、全身に雷が走った。
─此の様に魔女も悪魔も姿を消すことができる。小麦粉などを用意し、憶えのある場所に撒けば実体化し、見ることもできる。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。