蝸牛ホテル─hôtel de escargot
平山夢明Yumeaki hirayama
「我々は魔女や悪魔ではない。君と同じ人間だよ、ノマ」
「じゃあ、あそこに居た拷問された女子達はなによ!あれは生贄でしょ」
ウルマが助力を求めるようにルシーフを見上げた。
「あれは患者よ。救命に準ずる治療を受けていたの。傷だらけだったのはそのせい」
「は?そんな莫迦なこと誰が信じるって云うのよ」
「あなたの御陰でサリは大きなダメージを受けたわ。もう前線復帰は見込めない」
「有能なメンバーだった。この戦争で何百人もの人間を救ってきた辣腕者だったのに」ウルマが俯いた。「君を信頼し過ぎた私のミスだ」
「サリは女の子を呑み込んだのよ!」
「あれは単なる脱走だ。君にはそう見えたのだろう。いいかね、ノマ。君は考え違いをしている。我々を悪魔崇拝者と思っているようだが逆だ。我々は正義の集団だ。現に今も人のために命懸けで活動を続けている。まあエスカルゴが完全な意味でホテルだというのは嘘に違いないが、君の云うような宗教カルトではないよ。あそこは病院なんだ。正確に云えば野戦病院だ。多くの人があそこで命を救われている」
「O棟は処置室なの」バインダーを胸に持ち替えたルシーフが再び云う。「サリは看護師。あなたが救おうとしたのは酷いトラウマを負って錯乱状態にあった患者だわ」
「信じない!でたらめだわ!」
「では、あの腕時計はなんだ」ウルマが強い口調で云った。「君の視覚と聴覚を完全にコントロールできたあの時計は?あんなのものが存在する理由を考えてみ給え」
ウルマが内ポケットからスキットルを出して、一口飲んだ。ウィスキーの微香が漂った。「この世界は今から七十年後に壊滅する。我々はそこからやってきた。ひとつは壊滅させない方策を探すため。もうひとつは時空間内に安全地帯を確保し、戦力の補強と再生を目指すためだ」
ノマが噴き出すとルシーフが爪先をキュッと鳴らして前に出た。瞳が蒼味(あおみ)がかって光る。「光の研究から時間の可塑性が実現したの。勿論、軍事運用でしかないけど。この宇宙の時空の最前線になる地球上では今、支配人が云ったように第四次世界大戦が起こってる。人間対人間だけじゃない。人間対
否人間
も死闘を繰り広げている。しかも自由社会の勝ち目は絶望的になりつつある」
「過去?今が過去だって云うの?」
「そうだ。今から五十年後、あるひとりの男が世界を地獄に変える。その二十年後、光子研究から時間を巻き戻す方法が開発されるんだ。だから我々は此所にいる」
「そんな……こと。じゃ、じゃあ、あの会長って云うのはなによ?赤い釦を押せ押せって何度も……」
「あれはリーダーだ。今は脳だけでバイオAIの中に浮いているが」
「書棚全体の大きさがあるわ。転送にも限界があるの。この時代の代替品ではダウンサイズできなかったの。赤い釦は安楽死のスイッチ。負傷者全員を救えるわけじゃないから」
「安楽死のスイッチ……」
「そうなんだ。事情を知っている我々には辛い行為だが、君なら何の躊躇(ちゅうちょ)もなくできた筈だ。勿論、このような事態にならなければ説明することもなかったよ。君は毎夜、数人をあの世に送り込み、日が昇ると帰宅し、平凡な生活を満喫する」
ノマは思わず血の付いた手斧を床に落とした。「ほんとなの?」自分の声が震えているのに気づいた。「あなたたちの云ってることは本当?」
ウルマが頷き、ルシーフもそれに倣う。
- プロフィール
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平山夢明(ひらやま・ゆめあき) 1961年神奈川県生まれ。94年に『異常快楽殺人』、続いて長編小説『SHINKER――沈むもの』『メルキオールの惨劇』を発表し、高い評価を得る。2006年『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。同名の短編集は07年版「このミステリーがすごい!」の国内第一位に選ばれる。10年には『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞と第13回大藪春彦賞を受賞。『ミサイルマン』『或るろくでなしの死』『顳顬草紙』『デブを捨てに』『ヤギより上、サルより下』『平山夢明恐怖全集』『大江戸怪談 どたんばたん』『華麗なる微狂いの世界』『あむんぜん』他、著書多数。