よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  二十三

 卯月(四月)の節気、立夏を迎え、青葉の猛りを感じる新府であった。
 小笠原(おがさわら)勢の急襲を撃退してから一月半ほどが経ち、信濃(しなの)との国境(くにざかい)も落ち着きを取り戻している。
 惣領(そうりょう)となってから初めての戦(いくさ)だったが、急戦の策を取ったことが功を奏し、これ以上はないという首尾で終わっていた。
 しかし、晴信(はるのぶ)の気は重かった。
 ――そろそろ、はっきりとした方針を皆に示さねばならぬ。されど……。
 このところ連日、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館で評定が開かれ、信濃に対する今後の方針が話し合われていたが、まだ結論を出すには至っていない。
 それには、いくつかの理由があった。
 そのひとつが、諏訪(すわ)家に嫁いだ妹、禰々(ねね)の出産である。
 去る四月四日に諏訪頼重(よりしげ)と禰々の初子が誕生したという書状が、母である大井(おおい)の方(かた)に届けられた。
 本来、慶事などの通達ならば、諏訪頼重から武田家の惣領になされるべきである。
 だが、晴信には一報もなかった。  
 諏訪家が小笠原に内通し、合戦に与力(よりき)をしてしまったことは、明らかな盟約違反であり、武田家としては厳しく咎(とが)めなければならない。おそらく、諏訪頼重が負い目を感じているため、何も伝えてこなかったのであろう。
 そして、武田家が強硬な姿勢で迫れば、途端に妹の禰々と誕生した赤子が人質の扱いを受け、交渉の手段に使われる怖れがあった。
 しかし、非情と言われようとも、晴信は容赦なく諏訪頼重を糾弾しなければならなかった。己が逡巡(しゅんじゅん)すれば、家臣たちを納得させることができず、せっかく固まってきた一門の結束を揺るがしかねないからだ。 
 一方で、妹を思う気持ちも完全には消せなかった。矛盾するようだが、それも晴信の本心だった。
 ――禰々は齢(よわい)十四の身空で盟約の証(あかし)として嫁がされ、わずか一年あまりで初めての子が誕生し、これから両家を繋ぐ鎹(かすがい)となってくれるはずだった。当人もそう願いながら、この新府を後にしたのであろう。それにもかかわらず、かような形で武田と諏訪の不和が再燃してしまうとは、不運としか言いようがない。あまりにも禰々が不憫(ふびん)だ。
 そうした気持ちは、早世した最初の正室、朝霧姫(あさぎりひめ)に対する思いともどこかで重なっている。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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