第三章 出師挫折(すいしざせつ)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……もう後戻りは、考えられぬであろうな。諏訪頼重の所業を手緩(てぬる)く見過ごすというわけにはいかぬし、ひとたび戦を構えれば、中途半端な和睦などできぬ。われらも肚(はら)を括(くく)り、諏訪を直轄の領とするぐらいの覚悟をもって合戦に臨まねばならなくなるだろう。問題は、その後だ」
「次々と戦いが飛び火すると見ているのか?」
「その覚悟を決めねば、足許をすくわれる。やるならば、容赦なく信濃すべてを切り取るつもりで始めるしかない」
「そなたの考えは、よくわかった。いつもながら、最も厳しい手筋を考えているのだな」
「当家にとって諏訪は信濃進出に欠かせぬ足場だ。もはや、そこから退くという選択は考えられぬ。そなたも重々承知の上で問うているのであろう?」
「まあ、そうなのだが……」
「若君は聡明(そうめい)な御方だ。いずれにせよ、われらはその選択に寄り添い、しっかりと背中をお支えするしかない。まずは、われらで諏訪の裏側を探っておこう」
原昌俊は最も信頼している同輩の肩を叩く。
「そうだな」
信方は深く頷(うなず)いた。
それから数日後、原昌俊は先達(せんだつ)城へ向かう。
守矢頼真と密かに会うためだった。
「加賀守(かがのかみ)殿、ご足労をおかけいたしまする。先日は御無礼をいたしましたようで、まことに申し訳ありませぬ」
「神長殿、つれないお返事ばかりでしたが、こうしてお会いでき、安心いたしました」
原昌俊は皮肉をこめて答える。
「……当方にも、色々と事情がありまして。……そのことも含め、是非、お話をしておかねばならぬと思いまして」
「何の件でござりましょうや。遠慮なく、お話しくだされ」
「実は、小笠原家とのことにござるが、われら神長家は諏訪を通すどころか、和睦をするということにも反対しておりました。ところが頼重殿は強硬に話を押し進め、それに禰宜太夫(ねぎだゆう)の矢島(やじま)満清(みつきよ)が荷担しまして、上社の中で大きく意見が割れました。このままでは身内同士で再び争いが起こり、上社が分裂してしまうことにもなりかねぬと思い、渋々ながらも頼重殿に従いました。頼重殿はわれらに武田家と連絡を取ることを禁じ、小笠原家が出兵することを秘匿せよと命じました。それゆえ、加賀守殿のご書状に対し、歯切れの悪い返答しかできませなんだ。申し訳ありませぬ」
守矢頼真は機嫌を伺うように上目遣いで相手を見る。
「どうぞ、お続けくだされ」
昌俊はすました顔で話を促す。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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