連載
初恋父(と)っちゃ
第八回 川上健一 Kenichi Kawakami

「高速下りだのが。今どごらどりだ(今どの辺だ)?」
 助手席の山田が寝起きのざらついた声を上げる。
「もうすぐ洞爺湖だ」
「洞爺湖か。でかいホテルば造成する時によくきたもんだ。道からゴルフ場からテニスコート、アーチェリー場も作ったもんだ。湖畔の繁華街の一本裏道にスーパーウロコってへる(いう)スーパーストアがあってな、ここの毛ガニはたまげだうめがった(とても美味かった)。店長が毛ガニの産地白老町の出身で、長年毛ガニの仲買人をしていたという人だったんだよ。んだしけ(だから)自分でいい毛ガニっこ仕入れて店に並べていたんだ。何しろ目利きがしっかりしているから冷凍されでしまってもうめんだよ。温泉街の料理屋が買いにきていたほどだ。一般のお客にもうまい毛ガニっこ食ってほしいからって高い観光地値段にしなかった。そのスーパーから毎年毛ガニを取り寄せていたんだども、店がなくなってそれっきりだ。平成十二年の有珠山噴火で住民がごっそり移住してしまって店が成り立たなくなって閉店したんだよ。チェーン店だすけ店長はどこかの店に移ったんだべなあと思って問い合わせしてみたら、洞爺湖の店が閉店したと同時に退職してしまってどこさいるんだが分がんねということだった。あの毛ガニが食えなくなったのは、いだわしがったなあ(もったいなかったなあ)。閉店する前に店長の連絡先ばちゃんと聞いておくんだった。店長の毛ガニっこは安くて本当にうめがった。でっけえのはもちろんだけど、ちゃっこい(ちいさい)やつも身っこびっしり入っていたし、味噌もたまげだうめがった」
 山田は水沼が高速道路を下りてしまったことを咎めもせず、しきりに毛ガニを懐かしがる。うまい毛ガニは最高だからなと水沼は相槌を打ってからしゃべり始める。
「俺も洞爺湖には思い出がある。すっかり忘れていたけどな。お前が洞爺湖の思い出話をするから思い出してしまった。お袋ときたことあるんだ。お袋のことは考えないようにしてるんだよ。物心ついた時には大嫌いだったんだ。小学生の頃にはもう毛嫌いしてた。それからずっとだ。妹とお袋は仲がよかったけどな。お袋が死ぬ一年前に突然北海道に行きたいっていい出したんだよ。妹が連絡してきたんだ。苫小牧の叔母さんに会いたいってお袋がいってるから、ちょうどいい機会だから一緒に行こう、家族三人で旅行したことないから、たった一回でいいから親孝行しようっていってさ。俺は東京に出てからほとんど田舎に帰らなかった。二、三年に一回だけだった。お袋が嫌いだから帰りたくなかったんだよ。顔を見ればムカムカしちゃって打ち解けることができないんだよ。何かいわれるととにかく反抗したくなっちゃって口を開けばケンカになるんだ。だけど妹に説得されて、それで苫小牧にいるお袋の妹に会いに行って、洞爺湖、函館と巡る旅をしたんだ。その時洞爺湖で、お袋がどうした訳か貸し自転車のマウンテンバイクに乗りたいっていうんだよ。自転車なんてもう十年も乗ったことがないっていうし、マウンテンバイクは昔乗っていたママチャリと違ってちょっと難しいっていったら、一回遊びで自転車に乗ってみたかったっていうんだ。俺が五つの時に親父が死んで、それ以来お袋はずっと自転車で事務の仕事に通っていて、俺が中学生になった時から保険のセールスやってたけど、その時も自転車で動き回っていた。自転車に乗るっていうことは生活のためで遊びではなかった。毎日自転車に乗っていたけど、サイクリングとか、楽しいことじゃなかったんだよ。だからマウンテンバイクが楽しそうに見えたんだろうな。それで洞爺湖の湖畔をサイクリングしたんだ。初めはヨロヨロしてあぶなっかしかったけど、そのうち感覚取り戻してゆっくり乗れるようになったよ。けっこう走ったんだ。ああくたびれた、ああ面白かった、ああ楽しかった、ああすっきりした、ってうれしそうに笑って、あんなに天真爛漫に笑ったお袋を初めて見たんだよ。いつも目くじら立てたり愚痴いってるイメージしかないお袋だったから、あの生き生きした笑顔はけっこうインパクトあったなあ」



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〈プロフィール〉
川上健一(かわかみ・けんいち)
1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。
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