よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第八回

川上健一Kenichi Kawakami

「いい親孝行したでねが。お袋さん、しまれだなあ(よかったなあ)。たまげだうれしかったべなあ。チャーミングなお袋さんじゃねえが。なして(どうして)ガキの頃から毛嫌いしてらったのせ(していたんだよ)?」
「反抗期が早く始まったのかもな。お袋が俺と妹に向かって、いい再婚話があったけどあんたたちがいたから再婚できなかったとか、女手ひとつであんたたちを育てるために辛い思いや苦労してるとか、片親いないからって世間に後ろ指さされないように大変な思いをしてるとか、毎日のように愚痴を聞かされるのもうんざりだったな。大変なことは分かっているから、俺と妹はあれこれしたいとかあれこれほしいなんていったことはなかった。我慢してたんだ。それなのに毎日愚痴られてみろ、子供心にも嫌になるよ。とにかく一緒にいるのが嫌で嫌でたまらなかったんだ。早く大人になりたかった。大人になってお袋と別れて暮らしたかった。小学生の時からそう思ってたんだ。俺と妹が大人になってからもそのことはよくいってたよ。だからお袋が死んだ時はちっとも悲しくなかった。これで愚痴を聞かされることがないってホッとしたよ。バチが当たってもいいんだ。それが本心だよ」
「ほんだったのか(そうだったのか)。今もほんだのが?」
「まあな。だからお袋のことは思い出したくないんだ。女手ひとつで俺と妹を育ててくれたことには感謝してるけど、思い出してしまうと無性にきまやげる(腹が立つ)し、辛くなるんだよ。洞爺湖でトイレに寄っていくか?」
 車は夜道に浮かぶ道標に向かって近づいていく。少し行くと今走っている道が洞爺湖にぶつかるT字路になっていて、洞爺湖温泉街は右、左は留寿都(るすつ)、中山峠と出ている。
「んだな。右さ曲がれ。湖畔の公園さトイレがある。小澤も起こすべ。年寄りだすけションベン近いはずだ。それにしてもよく寝るな。悪いやつほどよく眠るって本当だな」
「お前ほど悪くないよ」
 後ろの座席から小澤が唸り声を上げる。
「指名手配されている巨額談合のまとめ役がよくいうよ。それにお前たちだって俺と同じ歳じゃないか。俺を年寄り扱いするならお前たちも年寄りなの」
「何だ、起ぎだのが。あのな、俺はまんだ指名手配されてねえの。参考人」
「ただの参考人じゃなくて重要参考人だろう。重要参考人っていうと極悪人みたいに聞こえるよね。お前の人相は立派な極悪人だけどさ」
 小澤が含み笑いをして山田に応じる。確かに山田は強面系のゴツゴツした面相だ。無愛想面をするとおっかない系に見えないこともない。
 水沼は声に出して笑いながらハンドルを右に切る。ライトのずっと先に一瞬黒い湖面が見えた。真っ直ぐ続く静まり返った湖畔の道が、フェイドアウトするように寂しい街路灯の中に霞んで消えている。水沼は人っ子一人いない湖畔の駐車場に静かに車をすべりこませた。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

Back number