よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十五回

川上健一Kenichi Kawakami

 盛大な拍手、口笛、歓声を浴びてオードリー・ヘプバーンが優雅に歩き出す。カウンターの中にいる従業員の女が「ママすごい! カッコ良すぎ!」 と笑顔を爆発させている。
「派手なお出迎えねえ。あなたたち、クラッカーで景気づけなんて、今日はどうしちゃったの? うれしいけど」
 オードリー・ヘプバーンは日本語でカウンターの男たちに甘い微笑みをたっぷりふりまいた。バリトンのまろやかな声が、熟れた甘い桃が転がるように赤い唇からこぼれ出た。
「したっけさ(だってさ)、ママがこの前、詳しくはいわんかったけど、やっと傑作級の衣装が完成したってなんもかもうれしそうに、今日の登場はびっくりさせちゃうから楽しみにしてっていうから、どんな格好で登場するか分からなかったけど、したらこっちもママをびっくりさせてやれって、それでみんなでクラッカー用意したんだわ。いやそれにしたって今日の登場はすごいなんてもんでねえべさ。最高だわ!」
 と男たちの一人が興奮を隠しきれないうわずった声でいう。
 ありがとう、喜んでもらえてうれしいわ、ちょっとみんなに挨拶してくるからあとでねといい置いて、オードリー・ヘプバーン・ママは客のいるボックス席を渡り歩いて挨拶をしてから水沼たちの前に立った。いらっしゃいませ、今夜のコスプレお気に召したかしら、と腰に手を当てて優雅にポーズをつけた。
「背が高アい! 二メートルもありそう!」
 とジーンズ女がいった。「男の人だよね?」とへの字目笑顔の女に囁(ささや)く。
「とってもスタイルがいいわ」
 への字目笑顔の女は『踊り明かそう』の歌声にあわせてリズミカルに身体(からだ)を揺らせながらいった。
 最高! 泣けてくる! 声高に賛辞を惜しまないニット帽の女と小澤にありがとうとウインクを飛ばしたオードリー・ヘプバーン・ママは、ピタリと山田に視線を止めた。
「やっぱりそう。久し振りね、愛するマサオちゃん。来てくれてうれしいわ」
 とニッコリ微笑してから急転直下、表情を一変させて横目で睨(にら)みつけた。「あの破廉恥な夜以来百万年振りかしら? どうやら礼儀作法教室に通ったようね。それで反省して遅まきながらちゃんと謝りにきたって訳?」となじるように口元を歪(ゆが)めた。
「あ、愛するマサオちゃん!? ハ、破廉恥な夜ウ!?」
 小澤が口をアングリ開けて固まる。
「礼儀が人を作る、ってセリフ、外国映画にあったような気がするわ。記憶にある?」
 とニット帽の女が小澤に小首を傾(かし)げた。
「確かに外国映画にありそうなセリフだよね。だけど思いつかないなあ」
 と小澤は考え込んだ。
「あのなママ、マキちゃんよ、皮肉いってグンニャリ口を曲げて笑うと、皺(しわ)隠しの厚化粧にグランドキャニオン並みのヒビが入るぞ」
 山田は辛辣な言葉を遠慮なくオードリー・ヘプバーン・ママに投げつけた。
「ずいぶんなご挨拶ね。フフフ、老けたおじさんになったけど口の悪さだけは変わってないのね」

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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