よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十三回

川上健一Kenichi Kawakami

「大丈夫だ。道産子の親切はでっかくてあったかい」
 山田が水沼につられるように夜空を見上げていった。それから熱く語り始めた。
「俺はこの路地で道産子の人情に触れて、夢を見たようになってすげーなあって感動したことがあったんだ。ホテルの建築現場での打ち合わせで夕張に来てたんだけど、真冬の昼時で、ここの先にあるラーメン屋にメシを食いに行こうとなって、一緒に来た会社のやつとタクシーでこの道を通ったんだ。炭鉱は廃坑になってたから、この路地は今みたいに静まり返っていて人気がまるでなかった。またその日は雪が舞う骨まで凍るような寒い日で、晴れていた前日の太陽に溶かされてぐしょぐしょになった雪道が夜の内に凍ってカチンコチンのツルツル。タクシーのタイヤが空回りばかりして動けなくなってしまったんだ。しょうがないから俺たちが降りてタクシーを押すんだけど、俺たちもツルツル滑って押すどころの騒ぎじゃないんだ。タクシーも前進したり後退したりをせわしなく繰り返すんだけど、エンジンと空回りするタイヤが唸(うな)りをあげるばかりでにっちもさっちもいかん。そしたらその音を聞きつけたんだろうな、いきなりそこかしこの店のドアが連続して開いたと思ったら、男たちがあっちこっちから七、八人出てきてタクシーに取りついた。みんなスタッドレス長靴だのスパイク長靴なんだよ。セーノ! って掛け声あわせてみんなで押して一発でタクシーを穴ぼこから救出させたんだ。いやあ、助かりました、ありがとうございます、って男たちに礼をいおうとしたけど、もう男たちは無言でそれぞれが出てきた店へ背中を向けて引き返していて、良かったなでも気をつけなでもないんだ。え? いや、あのって呆気(あっけ)にとられていたら、それぞれが店のドアを開けて入っていってバタンと閉めてしまったんだよ。タクシーの運転手も、はい乗ってください、って何事もなかったように手招きするんだ。店から出てきて助けてくれた男たちにありがとうでもなければ助かったよでもない。まるで今までのことが夢でも見てたんじゃないかってぐらいにあっという間の出来事だったんだ。大騒ぎが嘘みたいにシーンとしちゃって大勢が参加しての脱出劇の残像のかけらも無いって感じなんだよ。タクシーに乗って、運転手に、今の人たちは友達か知り合いの人? って聞いたら、何人かの顔は知ってるけど知り合いでもないし友達でもないっていうんだ。店の人だったり、その友達だったり、ただ単にメシ食いにきてる客だと思うよっていうから、何だか当たり前のように出てきて当たり前のように去っていったけど、それに運転手さんはありがとうでもないし、あれが普通なの? って聞いたら、夕張では雪道で車が動けなくなることはしょっちゅうだから、助けたり助けられたりが当たり前でいちいちありがとうっていったりいわれたりはしないんだっていうんだ。誰かが困っていたらみんなが助ける。そんな助け合いをさらっとやってのける凄(すご)い文化だなあって感心して、いっぺんに夕張が好きになったよ。だから水沼よ、初恋父っちゃ(オヤジ)よ、大丈夫だって。北海道の人は助けてくれる。絶対にみどりちゃんに辿(たど)り着ける」
「大人の童話みたいな話だなあ。北海道の人たちの親切心だけで、夏沢みどりを探せるとは思えないけどなあ」
 水沼は熱のない声を出した。わずかな希望と大きな懐疑心との間を行ったり来たりしているように、漠然とした視線は静まり返っている暗い路地をさまよっている。寿司屋を出てから山田が馴染(なじ)み客だったというクラブへと向かう先に明かりが灯(とも)っている店はポツンと一軒だけだ。暖簾(のれん)に赤提灯(あかちょうちん)。賑々(にぎにぎ)しさはなく、赤提灯が寂しげに灯っている居酒屋だった。路地を抜けた向こうがぼんやりと明るくなっている。見えない所にある街路灯に照らされたアスファルトが白く光っている。夜の真珠のような色だった。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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