よみもの・連載

雌鶏

第三章3

楡周平Shuhei Nire

「さすがやわあ……。人間誰しも、物欲もあれば、見栄を張りたくもなるもんです。自分とこと給料はなんぼも変わらんはずやのに、隣がテレビ買(こ)うた、洗濯機買うたとなれば、そら羨ましゅうなりますわな。亭主の小遣いかて、多いにこしたことはあらへんのです。なんぼ渡せるかは女房の腕の見せ所ですからね。会社から前借りするのは憚(はばか)られても、返せる当てがあるんやし、街金から借りてでもいう気になりますやろな」
 清彦もこの道に入って気づいたのだが、街金稼業の面白いところは、金が儲かることに加えて、他人の人生や人間の本性を垣間見れるところにもある。
 終戦直後から街金稼業一筋でやってきた北原なら、説明を聞けば、筋の良し悪しは瞬時に判断できるはずだと思っていたが、案の定である。
「何と言うても、一流企業に勤めてる亭主がいてる主婦を相手にっちゅうのがええですわ」
 北原の声に熱が籠る。「毎月決まった日に月給が、盆暮れには賞与ももらえるし、一流企業は潰れる心配なんかあらしませんからね。今日明日の金に困って、借りに来るのとは、わけが違いますわ。来年、再来年の給料かて上がることはあっても、下がることはあらしませんからね。そら、前借り感覚で借りに来まっせ。これ、絶対に行けますで」
 なるほど、さすがは北原だ。
 前借りとは、うまいことを言う。
 思わず手を打ちたくなるのを堪(こら)え、清彦は平然と答えた。
「日々節約、倹約に努め、貯蓄に励む人間もいないではないが、大半は収入に見合った生活をするようになるものさ。だから、金はいつになっても足りることはない。特に月給取りの場合はね……」
「実際、自分の生活もそうですもんね……」
 北原は、一転しみじみとした口調で言う。「手形金融が大成功したお陰で、ぎょうさん給料を貰(もろ)うてんのに、その分出費が嵩(かさ)んでもうて……。もちろん、ええ暮らしをさしてもろうてんのですが、毎月二十五日には給料入ると思うと、つい使(つこ)てまうんですわ……」
「お前は、遊び過ぎなんだよ」
 清彦は苦笑を浮かべた。「呑(の)む、打つ、買うの三拍子じゃ、給料がいくらあっても足りやしないさ。そろそろ身を固めたらどうなんだ。しっかりした女房をもらえば、そこそこの一流会社の同年代の者よりも、遥(はる)かにいい給料をもらってんだ。子供の二人や三人いても、人並み以上の暮らしができるだろうさ」
 ミツと結婚して以来、夜の街に出かける機会はめっきり減ったが、それでも北原の放蕩(ほうとう)ぶりは耳に入ってくる。
 出会った頃には、経理に興味を持つ理由を、「金持ちになりたいからであります。金が好きなのであります」と答えた北原にしてからが、高額な定収が得られるようになると、気が大きくなってしまうらしい。夜な夜な尼崎(あまがさき)の街に繰り出しては飲食三昧、果ては博打に女である。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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