よみもの・連載

雌鶏

第三章3

楡周平Shuhei Nire

 北原は、「あっ」と言うように口を小さく開き、瞳を輝かせた。
 清彦は頷いてみせると、話を続けた。
「会社がデカくなれば、高校はおろか大卒だって入社してくるようになるかもしれないんだぞ。こんなことは言いたくはないが、いくら仕事ができたって、高卒や大卒が、中学校も出ていない上司にいつまで黙って仕えていると思う? 黙って仕えさせるには、何が必要だと思う?」
「そら、連中が逆立ちしても真似(まね)できへんような実績を上げるしかないでしょうなあ……」
 この仕事を命じた理由を北原が理解したのは明らかだ。
 金貸し稼業の修業に来たつもりが、今や実質的に淀興産を率いるまでになれたのは、手形金融での成功を森沢が高く評価したからだが、そもそも北原との縁なくして、なし得なかったのは事実である。
 北原には、それなりの恩義を感じているし、何よりも海軍経理学校時代から一貫して忠実な部下であり続けた彼に、報いてやりたいと清彦は思ったのだ。
 そこで清彦は、高く組んでいた足を解(ほど)くと、ぐいと上半身を乗り出した。
「前借りをさせてくれる会社は少なからずある。それも金利無しでな。その点、こっちは金貸しが本業だ。当然利子はしっかり取るわけだが、それでもデカい商売になると睨んでいる理由が分かるか?」
「前借りも借金。会社かて、理由も聞かずに二つ返事で貸してくれるわけやないですからね。よっぽどのことがないと、前借りさしてくれとはよう言わんでしょうな」
「つまり前借りは、そう何度も頼むことができない。度重なれば、金銭感覚に問題があるとみなされることになるわけだ」
「社員はみんな家族やいう会社もありますけど、所詮は赤の他人、競争相手の集まりですからね。会社であろうと同僚であろうと、弱みを掴(つか)まれとうはないでしょうしね」
「その通りだ」
 清彦は、顔の前に人差し指を突き立てた。「そんなところに、気軽に前借りできる街金が現れたらどうなる? 利子は発生するが、前借りした秘密は完全に守られるんだぜ?」
「借金を他人に知られとうないくらいです。返済が滞って、借金取りが押しかけてきてもうたら一大事や。なんせ、亭主は一流会社に勤めてはるんですからね。そら、なんとしてでも期日通りに返済してきますわな」
「だから余計にいいのさ」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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