よみもの・連載

対談 桜木紫乃氏×東山彰良氏

対談 桜木紫乃氏×東山彰良氏

桜木
ノンフィクションとフィクションの違いを井上理津子さん(ノンフィクション作家。著書に『さいごの色街 飛田』など)とお話ししたのだけど、私はいつもカニかまぼこの分量を考えながらやっているけれども、彼女たちノンフィクションの人たちというのは、人柄で書いているんだよ。私たちはあまり人柄って気にされないじゃない。人柄うんぬんよりも、ちゃんとした小説を書けばよしみたいな。
東山
ああ、なるほど。
桜木
ノンフィクションは人柄が書かせる。むき身のカニって味があんまりないんだよ。そのむき身だけで作らなきゃいけないから、書く人の味がなきゃいけない。伝わっている?
東山
何となく分かる。僕は常々、何を言うかではなく、誰が言うかじゃないかと思っていて。ノンフィクションのほうでは「何が」ももちろん大切なんだけど、それと同じぐらい「誰が」の部分も説得力を持つ。でも、小説に関して言うと、「誰が」の部分はあまり重視はされない。
桜木
ファンの皆さんとか、何を書いても買ってくださる人を得るまでってなかなかかかるじゃない。
東山
うん、そうですね。
桜木
もし、得たとしても、一回でも外したら次から買ってもらえない。
私たちは嘘を書いて仕事をしているし、嘘をつくために結構いろんな本当をまぶしていくんですけれども。
東山
僕は、福岡でラジオ番組をやっていまして。視聴者から千文字以内の作品を投稿してもらって、それを番組内で紹介するということをやっているんです。形態は小説でもエッセイでも何でも構わない。
桜木
そんなことやっているの?
東山
やっているんですよ。投稿されてきた作品を読んでいつも思うのは、桜木さん流で言うカニかまの部分が足りないんですよね。そうすると、やっぱりちょっと味気がないんですよ。エッセイだから小説とは違って、真実を書かなきゃいけないと思われるかもしれないですけれども、そんなことは全然なくて、伝えたいことを伝えるためにはカニかまの分量をちょっと増やさなきゃいけないときもあると思う。我々はそういうふうにして書いていますよね。
桜木
そうですね。伝えようとして入れる嘘というのは、絶対分からないようにします。根幹は変えない。だけども、味をはっきりさせるために入れ込むところは入れますね。
東山
表現するということと伝達するということは違うことなので。ノンフィクションとか新聞は、間違いなく書いた人のものの考え方や事実を伝えるためのものなんですよ。今起きている事件や社会の側面、そういうのを間違いや嘘がないように伝える。だけど、小説というのは、表現をするものなので、100%が伝わることはないんですね。何かを伝えたいと思ったとしても、受け取った人がどういうふうに受け取るかというのは僕らにはあずかり知らないところ。僕らは僕らのさじ加減でカニかまの分量を決めて、これがおいしいと思うんだけれども、おいしくないと思う人が当然いるし……。フィクションのジャンルでものを書いている我々のような人間は、そういうさじ加減を常に考えているのかなと思います。
プロフィール

桜木紫乃(さくらぎ・しの) 1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。07年同作を収録した単行本『氷平線』でデビュー。13年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞、同年『ホテルローヤル』で第149回直木賞、20年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞を受賞。他の著書に、『硝子の葦』『起終点(ターミナル)』『裸の華』『緋の河』など。近刊に『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』がある。

東山彰良(ひがしやま・あきら) 1968年、台湾台北市生れ。9歳の時に家族で福岡県に移住。2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞受賞の長編を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で、作家としてデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞を、15年『流』で直木賞を、16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞を受賞。17年から18年にかけて『僕が殺した人と僕を殺した人』で、織田作之助賞、読売文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞する。『イッツ・オンリー・ロックンロール』『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』『夜汐』『越境』『小さな場所』『どの口が愛を語るんだ』『DEVIL’S DOOR』など著書多数。訳書に『ブラック・デトロイト』(ドナルド・ゴインズ著)がある。