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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)3 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 信虎の目的は、京から公卿の娘を迎え、都の政(まつりごと)と繋(つな)がりを持つこと以外にはない。いつの日か、己が上洛(じょうらく)する時のための手立てにすぎなかった。
 武門の婚姻はほとんどが政略として行われるものだが、親がここまであからさまに本音を吐露するのは珍しかった。
「……気をつけまする」
 晴信は蚊の鳴くような声で答える。
 ――こたびの御婚儀は、若にとって初陣よりも荷が重そうだ。それだけで挫(くじ)けねばよいが……。
 信方(のぶかた)にとっては気が気ではなかった。
「まあ、とりあえずは歌会での仕来(しきた)りや京の風雅について、あの口先坊主にでも習うておくがよい。わかったか、勝千代」
 信虎は投げやりな口調で言う。
「……承知……いたしました」
「常陸介(ひたちのすけ)、他に何か事案はあったか?」
 信虎は気怠(けだる)そうな口調で荻原昌勝に訊く。
 このところの酒を吞みすぎると、すぐ眠気に襲われるようだった。そうなることがわかっていても、盃を手放している時の方が少ない。
「特段ありませぬが」
「さようか。では、あとは任せたぞ」
 生欠伸(なまあくび)をしながら、信虎は大上座を後にする。
 その背が見えなくなるのを確かめてから、荻原昌勝が渋面で皆に言い渡す。
「御婚儀に関して進展があり次第、次の評定を招集する。本日は仕舞いじゃ」 
 それを受け、一同が評定の場を後にした。
 その中、末席にいた飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)が信方の方に寄ってくる。
「駿河守(するがのかみ)殿、また御宅へお邪魔してもよろしかろうか。北条(ほうじょう)との戦の報告がてら一献傾けませぬか」
「それは構わぬが」
「有り難や。それにしても……」
 虎昌は声をひそめ、信方に耳打ちする。
「……なにゆえ、御屋形(おやかた)様はあれほど若君様につれない物言いをなさるのであろうか?」
「知らぬ! ……己で御屋形様に訊ねてまいれ!」
「さように怒らなくとも……」
「そなたが下らぬことを訊くからだ」   
「……相すみませぬ。では、最後にひとつだけ」
「なんだ」
「なにゆえ常陸殿はあのような仏頂面をなされておるのだろう。若君様の御慶事だというのに」
「知るか! それも本人に訊け!」
 信方は怒った顔で歩き去る。
「お待ちくだされ、駿河守殿。間が空きすぎて、わからぬことだらけにござりまする。教えてくだされ」
 飯富虎昌は親鴨(おやがも)を追う子鴨のように信方の後を追った。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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