「お待ちくだされ!……それがしの嫁は不調法な並の者ゆえ、やんごとなき御方様との生活など、助言できるわけがありますまい。できぬから、こうして、お訪ねしたのではありませぬか」 信方は両手を振る。 「御二方の真の目的は、そちらでありましたか」 「いや、歌会についてもご教授を受けたかったのは事実にござりまする。実に参考になり申した。同様に、お公家様の生活についてご教授いただきたいと若が申されたもので」 「さように申されても、夫婦の生活はお二人の睦事なれば、拙僧如きが差し出がましい口を挟める筋合いのものではござりませぬ。どうか、ご勘弁を」 意外と頑固な岐秀禅師の態度を見て、信方は口をへの字に曲げて黙り込む。 二人の様子を見た晴信は困惑の表情で切り出す。 「では、御師。こうしていただけませぬか。先ほど、転法輪三条家は笛と装束を家業としていると聞きましたので、歌会と同じように笛と装束についての講話を施していただけませぬか」 その申し入れにも、岐秀禅師は思案顔で黙り込む。 しばしの沈黙の後、重い口を開く。 「……笛と装束に関する智識を披瀝(ひれき)できぬということはありませぬ。されど、果たして、それでよいのかという思いもありまする」 「御師、それはいかなる意味で」 「拙僧がお話できるのは、あくまでも智識に過ぎませぬ。されど、こたびの御方様は生まれてこのかた、ずっとその家業の下で育たれており、何よりも身に付けられた経験の深みや重みが違いまする。拙僧の智識を吸収したとしても、さような御方の前では、にわかの智識に過ぎませぬ。さようなにわか仕立ては、すぐに見抜かれてしまい、底の浅さが露呈してしまいませぬか」 「な、ならば、どうすればよいのであろうか?」 「どうすれば、よいのでありましょう」 岐秀禅師は難しい顔で再び思案する。 その様子を、晴信と信方が固唾(かたず)を呑んで見つめていた。 「ここはひとつ、逆の立場になって考えてみてはいかがにござりましょう」 「逆の立場?」 「はい、輿入れしてくる御息女ならば、何を考え、何を準備するのかということにござりまする。確かこの春、転法輪三条家のご長女が武門に嫁いだのではありませぬか」 「ああ、確か、京の管領職、細川晴元様へ輿入れなされたと聞きましたが」 「やはり、用意周到な御公家であれば、武門へ嫁がせるために事前の支度をなされると思いまする。嫁入り道具を揃えるだけでなく、武家の暮らしというものを武門の奥方から事前に学び、なるべく齟齬(そご)がないように備えるのではありませぬか。御次女には姉上という生きたお手本があり、しかも夫君は管領家という最上流の武家でありますゆえ、相当に深く武門の理(ことわり)や仕来りを学んでいらっしゃると思いまする。ただし、甲斐での暮らしについては、現地に赴くまで実感を得られませぬので、相当な不安を抱かれているのでは。それを和らげて差し上げる方法を考えた方が、にわかの智識を得るよりも、よろしいのではありませぬか」 正論だった。