よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 通常、野戦陣への夜襲には、大きく二つの目的がある。
 ひとつは原虎胤が行ったように、あえて夜襲隊の存在を隠さず、大仰に攻撃を仕掛けるやり方だった。
 夜襲を行うことで敵を眠らせず、神経を消耗させ、疑心暗鬼にさせることを目的とし、攻撃を行ってはすぐに退き、忘れた頃にまた仕掛けるのである。こうした夜襲は何日も続くことが多く、敵兵にとってはこの上なく煩(わずら)わしいものだった。
 もうひとつの夜襲は、一切の気配を消して敵陣に近づき、一気に敵の殲滅(せんめつ)を狙う総攻めである。このような攻撃は、兵数が圧倒的に劣る場合に選択される乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負だった。
 今回、武田勢が選んだ策は、あくまでも攪乱(かくらん)を狙う前者のように思える。原虎胤が昼間から挑発を繰り返していたこともあり、小笠原の兵にはまさにそう見えていた。
 敵陣は騒然となるが、小笠原の兵が火を消して廻(まわ)り、第二波の攻撃に備え、素早く退いた原虎胤の一隊に眼を凝らす。数が少ないと見れば、すぐに反撃するためである。
 だが、この騒ぎを離れた処から凝視している者がいた。
 権現岳(ごんげんだけ)の麓から暗闇に紛れて敵陣まで近づいた飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)と板垣(いたがき)信方(のぶかた)である。二人が率いる兵たちは、夜目にも鮮やかな白襷(しろだすき)を甲冑(かっちゅう)にかけている。味方同士であることを確かめる相印(あいじるし)だった。
 原虎胤が最初の攻撃を仕掛けたことを確認し、飯富虎昌は一隊を率いて北東から敵陣へ躙(にじ)り寄る。すべての兵が槍足軽で構成された部隊だった。
 跫音(あしおと)ひとつ立てるまいと、慎重に進み、暗闇に身を潜める。
 すると、再び原虎胤の一隊が鬨(とき)の声を上げ、南東から攻撃を行う。その方角が敵陣にとっては正面だった。
 それが合図だった。
「行くぞ!」
 飯富虎昌が押し殺した声で言う。
 一千の足軽が北東の坂を駆け上がり、丘の上にある敵陣に攻め入る。
 逆茂木を乗り越え、幔幕を切り裂き、篝籠(かがりかご)を蹴り倒す。陣中に燃えさかる薪(まき)をばら巻きながら、軍装を解いて寝ている敵の帟(ひらはり)に押し入った。
 思いもしない伏兵の乱入に、小笠原の兵は大混乱に陥る。武装もしていない寝起きの兵が、ただ慌てふためき、あらぬ方向へと闇雲に逃げ始めた。
 飯富虎昌の一隊はいたって冷静であり、味方同士は相印を確かめながら、敵とおぼしき者だけを容赦なく槍で突き倒していく。
 燃えた幔幕が辺りを照らし、止(とど)めを刺された敵方の叫び声が虚しく夜空に響いた。
 あっという間に、小笠原の先陣は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。その混乱に乗じ、飯富虎昌は足軽たちに命じ、正面の逆茂木を動かし、騎馬が通れる道筋を創った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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