よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 思いもしなかった攻撃に、小笠原の将兵たちは茫然(ぼうぜん)と立ち竦む。ほとんどが今の今まで寝入っていた者ばかりだった。
 敵の混乱に乗じ、武田の兵は下馬し、迅速に逆茂木を動かして騎馬の侵入路を確保する。
「一気に諏訪湖まで追い落とせ!」
 原虎胤が槍を振り上げながら敵陣内へと押し入る。飯富虎昌の隊もそれに続いた。
 小笠原勢は抗(あらが)うすべもなく、北西に向かって逃げるしかなかった。その中には当然の如く、小笠原長時と馬廻(うままわり)衆の者たちも交じっていた。
 怒声と叫喚に包まれる中、敗走した小笠原の将兵は茅野のわずか北西に位置する諏訪家の上原城に助けを求めようとする。
 しかし、城門は固く閉ざされたままだった。
 そこには諏訪家の城将として守矢(もりや)頼真(よりざね)がいたのだが、まさかこれほど性急に武田勢が攻めてくるとは考えもしていなかったからだ。
 小笠原長時は諏訪家と通じ、あえて上原城に近い茅野に本陣を置いたのだが、この素早い奇襲には何の役にも立たなかった。
 上原城の北西には、支城(ささえじろ)の桑原(くわばら)城、諏訪湖畔に築かれた茶臼山(ちゃうすやま)城(高島城)があり、小笠原長時をはじめとする将兵は、そこまで必死に逃げるしかなかった。
 その背後から、容赦なく武田勢が襲いかかる。まさに疾風迅雷の急襲だった。桑原城の先まで散々に追い回し、小笠原勢を討ち取る。
 結局、小笠原長時は諏訪頼重(よりしげ)の居城である茶臼山城まで敗走し、助けを求めるしかなくなった。武田勢に不意を突かれ、まさに諏訪湖の畔(ほとり)まで追い落とされたのである。 
 しかし、晴信は陽が昇る前に攻撃を切り上げた。
「よし、ここまでだ! 茅野へ戻り、分捕品を確保して引き揚げるぞ!」
 上原城下から茅野まで素早く退き、待機させていた輜重(しちょう)隊を呼び、敵が残した兵粮(ひょうろう)や武具の類を運ばせる。
 小笠原勢は長期の滞陣を想定していたらしく、思いの外、大量の兵粮や武具などを押収することができた。先陣の分捕品と合わせれば、かなりの戦果だった。
 武田勢は瀬沢に野戦陣を構え、晴信はしばらく小笠原長時の出方を見ることにした。
 二、三日は何の動きもなかったが、ついに四日目、茶臼山城下にいた小笠原勢が松本平(まつもとだいら)の林(はやし)城に向かって撤退を開始する。
 その様子が、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)の諜知(ちょうち)により、晴信に報告された。
「われらに兵粮のほとんどを奪われ、これ以上の戦いは敵(かな)わぬと思い知ったのでありましょう」
「諏訪に何か動きはあるか?」
 晴信が跡部信秋に訊く。
「まったく、ありませぬ。沈黙を守り、城に籠もったままにござりまする」
「さようか。小笠原が帰師となったのならば、追う必要はなかろう」
 帰師とは、本拠地まで退却しようとしている敵軍のことである。
『帰師には遏むることなかれ』
 本拠地まで退却しようとしている敵軍を留めてはならない。つまり、追ったり、退路を塞いだりしては無用な犠牲を出す危険があるという孫子の戒めだった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number