よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「わかった。実はな、守矢(もりや)が遣いの者をよこし、内々に会いたいと申し入れてきた」
 原昌俊は諏訪上社(かみしゃ)神長(かんのおさ)の名を口にする。
「ついこの間まで、あれほど返事を渋っていた、あの守矢頼真(よりざね)が?」
「さようだ」
「前(さき)の戦について言訳でもするつもりか」
「まあ、それもあるのだろうが、会いたいと申すからには、何か魂胆があるのであろう。ついては、面会の前に若君からお許しをいただくべきかどうか、そなたの意見を聞いておきたかったのだ」
 昌俊の相談に、信方は思案顔になる。
「守矢の目的が見えぬ以上、まだ水面下で動いていた方がよいのではないか」
「そなたも、さように思うか。ならば、この件はそれがしに預けてくれ。すぐに会談の日時を決めよう。して、信方。そなたの相談とは?」
「こちらも胡散(うさん)くさい相手から、是非に会いたいという連絡があった」
「胡散くさい?……そなたがそんな風に言うからには、よほどの相手なのだな。いったい、誰だ?」
「諏訪下社の金刺(かなさし)堯存(たかのぶ)だ」
「ほう、下社の大祝(おおはうり)を自称する、あの漢(おとこ)か。それは確かに胡散くさい話だな」
 原昌俊は苦笑しながら言葉を続ける。
「それで、何のために御主(おぬし)に会いたいと?」
「当家にとって、またとない話があると申しておる。詳細は会ってから伝えたいと」
「なるほど。われらが諏訪頼重と構えると見て、擦り寄ってきたということか。諏訪の上社と下社はあいかわらず仲が良くないようだな。ともあれ、今回の小笠原の一件を通して、諏訪一帯で妙な思惑が蠢(うごめ)き始めたようだな」
「そうだな。どうも金刺堯存の背後に誰かがいるような気がしてならぬ。当家が利用されぬよう細心の注意を払いたいのだが、やはり会うべきだと思うか?」
 信方は怜悧(れいり)な同輩の意見を求める。
「下社絡みのことならば、会わぬという選択はなかろう。諏訪頼重との話をつけるためにも、諏訪大社に関わる者たちの動きは摑(つか)んでおいた方がよい。下社が何を考えているか見抜ければ、若君の御判断の材料ともなるからな」
「そなたもさように考えるか。ならば、この件はそれがしが受け持つ。昌俊、守矢頼真と会った時に禰々様のご出産について、それとなく探りを入れてくれぬか」
「ああ、わかった。もしも、男子の誕生とあらば、少々、難しい状況となるやもしれぬな」
「うむ。そのことで、若も深く悩まれておるのだと思う。ところで、そなたは諏訪のことを、いかように考えておる。忌憚(きたん)のない見解を聞かせてくれぬか」
 信方が難しい質問を切り出す。
「忌憚のない見解か……」
 原昌俊は遠くを見るように眼を細める。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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