第三章 出師挫折(すいしざせつ)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「やはり、頼重殿をお咎めになりまするか?」
「まあ、笑ってやり過ごすことはできませぬ。代替わりの早々に、面目を潰されましたからな。御屋形様は辛抱しておられるが、われら家臣は激怒しておりまする」
「心中、お察しいたしまする」
我が意を得たりと、金刺堯存が頷く。
「実は、下諏訪の者たちは、ほとんどが小笠原との和睦に反対でありました。それだけではありませぬ、伊那(いな)の者たちも同様で、仇敵の軍勢を通すなど以(もっ)ての外(ほか)と憤っておりました。それを無視し、頼重殿が勝手に小笠原の軍勢を招き入れました。まことに、由々しきことにござりまする」
「さようでありましたか」
「そこで、こたびはわれらが望んでいたことではないとお伝えし、下社の者たちは武田家に気持ちを寄せていることをお伝えにまいりました」
「ほう、なるほど。して、下社の方々とは?」
「禰宜太夫の志津野(しづの)家や権祝(ごんのはうり)の山田(やまだ)家など、金刺と縁の深い者たちにござりまする。加えて、上伊那郡の方々から言伝を預かっておりまする」
「上伊那郡の方々?」
信方が眉をひそめる。
「はい。箕輪(みのわ)にある福与(ふくよ)城々主の藤澤(ふじさわ)頼親(よりちか)殿、高遠(たかとお)の兜山(かぶとやま)城々主、高遠頼継(よりつぐ)殿にござりまする。この御二方が伊那の勢力をまとめ、もしも武田家が諏訪へ攻め入るおつもりならば、是非に与力をしたいと申されておりまする」
金刺堯存は得意げな顔で言った。
――なるほど、下社の背後にいるのは上伊那の者どもであったか。高遠頼継は確か諏訪の分家のはずだが、どうやら頼重殿とは反目しているらしい。この機に乗じて当家と誼(よしみ)を通じ、諏訪へ乗り出そうという魂胆か。
信方はすぐに来訪の目的を見抜いた。
「大変ありがたいお話だが、当方に与力とは、いかなる形の力添えにござるか?」
あえて、とぼけた問いを投げかけ、金刺堯存の反応を見る。
「武田家が諏訪へ出張った時には、われら下社が退路を塞ぎ、上伊那郡の方々が横腹から諏訪の軍勢を攻める用意がありまする。加えて、小笠原の援軍を阻止いたしまする」
「われらが諏訪家と戦をすると、どなたからお聞きになりましたか?」
「えっ!?」
金刺堯存の顔色が変わる。
「……先ほど、笑ってやり過ごすことはできぬ、と」
「そうは言えども、諏訪家とは縁組をしている間柄ゆえ、軽々に攻め入るなどということは申せませぬ」
「……さようにござりまするか」
明らかに失望したような面持ちで、金刺堯存が項垂れる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。